3分10円

 いまインドにいる多聞君からメールがあって、インターネットを介した電話の番号を取得したとのこと。それだと、これまで日本-インド間で通常3分260円かかっていた通話料が10円で済むらしい。仕事の催促(笑)等にお使いくださいとの連絡があった。3分10円だったら、国内並みどころか、国内より安いぐらいのものだ。凄いねぇ〜。
 というわけで、さっそく(笑)で仕事のお願いを電話する。小社ホームページの何度目かのグランド・リニューアルを多聞君に依頼しているのだが、「よもやま日記」の文字を大きくして欲しい、と。現在のものより一つ前のバージョンが読みやすかったとの指摘を何人かからいただいたからだ。全体のバランスもあるだろうから「よもやま」だけ字をでかく、ともいかないかもしれないが、そこんとこよろしく。
 ところで、日に日にあたたかくなってきましたねぇ。気分も変る。

きのうの夜は

 家に帰り、夜、床に就く前にその日の気分でCDを1枚取りだし、それをかけながら体操をするのがこの頃の習慣で、きのうは、オルダラの『ネイバーフッズ』にしてみた。
 ピーター・バラカンさんが以前、新聞で取り上げているのを読み、さっそく買って聴いたのだが、その時はあまりピンと来なかった。が、57歳にしてデビューしたという彼の歌は、昼下がり、日溜りの中でゆっくりと寝転びながら(CDジャケットの写真も寝転んでいる)鼻歌でも歌う風情で好ましい。ドクター・ジョンやカサンドラ・ウィルソンも参加していることからしても、彼の交友の広さがうかがえる。こんな音楽が今は好きだ。CDはこちら

ドキュメンタリー映画のよう

 Iさんが編集を担当している本の装丁をたがおが任され、作ったラフを見せにきた。ひとめ見て、なかなかいいなと思いながら、たがおの説明を聞いた。外部に頼むのと違い、社内で作る場合、お互いに勉強なのだから、編集者と装丁担当者との間でどんな会話がなされ、どんな思いをこめて作ったか、わたしも知りたいからだ。
 たがおはたがおで、装丁を任された人間として原稿を読みイメージを作ったが、Iさんから事前に「ドキュメンタリー映画を見るような感じ」のことを言われたという。たがおがそれを口にしたということは、大事なポイントとして自分の中にインプットし、それと、みずから原稿を読んでのイメージとをオーバーラップさせ、または、響き合わせることで装丁の形にまで具体化させたのだろう。Iさんは編集者=第一の読者として「ドキュメンタリー映画のよう」という言葉を見つけた。簡単なことのようだけれど、見つけようとしなければ見つからない。

三月

 今日からです。昨年末から今年にかけ東北は大雪で、正月帰省した折に、その景色に圧倒されたせいもあってか、特に春が待ち遠しかった。とは言い条、初日の今日は、関東地区どうもあまりパッとしない天候のようで、朝から細かい雨が降っている。
 正月の帰省が1週間ほどで、いつもより長く、ベランダに置いてある鉢植えの水遣りを工夫してから帰ったのだが、藤が枯れてしまった。申し訳ないことをしてしまったと、気が萎えていたところ、よく見たら新しい芽が出ているではないか。よかったぁー! というよりも、なんだか感謝したい気持ちのほうが強い。一雨ごとに暖かくなることを期待して春を待つとしよう。

著者校正

 著者からまず原稿をいただく。手書きの場合もあれば、最近はフロッピー、メールに添付されて送られてくることも多くなった。
 こちらで入力し組んだのち校正・校閲、気になる箇所に鉛筆で書きこむ。直しを入れる。ボールペンやサインペンでなく鉛筆で行なうのは、著者が見て、必要ないと思われる直しは消しゴムで簡単に消すことができ、ゲラが汚れないからだ。ゲラを通じてのコミュニケーションによって著者と編集者の関係がつちかわれる。著者は、編集者が原稿のどこに手を入れたのかが分かるし、編集者は、著者から帰ってきたゲラを読み、初校を読んだ時点では気づかなかった著者の隠された意向が分かることもある。間接的ではあるけれど、静かで緊張を伴うやりとりによって編集者の腕が磨かれ、著者との関係も築かれる。ここのところが相当スリリング。

テレビ

 この頃テレビをよく見る。バラエティー番組が特に好きなわけではないが、ついつい見てしまう。それで思うのは、芸能人はつくづく生活が不規則になって大変だろうなあということ。牛飲馬食を競うような番組もあって、見ているこっちは、笑っていればいいだけだが、やっているほうは体を張っているとしか思えない。若い時の無理は中年以降になり、さまざまな形となって現れる。芸能人とて例外ではないだろう。ドラマはほとんど見ない。物語を追うのが疲れるし、深刻なものは避けたい気持ちだ。ニュース番組も、寒々しく痛々しい事件がやたら多く、あまり見ないようにしている。そういう中で、トリノオリンピック・フィギュアスケート女子でみごと優勝した荒川静香さんの演技は、見ていて感動もし、晴れ晴れしい気持ちになった。「無欲」が金メダルにつながったのだろうと荒川さんは話していたが、なるほどと思った。

装丁

 本の外回りのデザインを装丁(そうてい)という。装幀とも書く。プロの装丁家に依頼することもあれば、社内でチームを組んで仕上げることもある。編集担当者みずから装丁する場合もある。
 プロの装丁家に依頼した場合、できることはできる、できないことはできない、とハッキリしているから、仕事としてはやりやすい。それで食べている職業人だから、一定のレベルのものが仕上がってくるのを待てばよい。
 逆に、編集担当者みずから装丁する場合、最初から本の中身をよく知っていてデザインを考えるから、プロの装丁家が作ったものとはまた違って、味のあるものができることもある。
 問題は、「社内でチームを組んで」だ。装丁の仕事だけで食べているプロフェッショナルではないし、なにしろ社内、同僚ということもあるから、これはできる、これはできない、というわけにもいかないことだってある。その場合、いちばん大事なのは、編集者と装丁担当者とのコミュニケーションだ。会議みたいなコミュニケーションだけでなく、イメージが伝わり、装丁担当者のどこかにパッと火が点されなければならない。そのためのコミュニケーション。写真を使うか、絵を使うか、はたまた文字だけでいくのか、素材を考えるのはその後でいい。素材を考えているうちに閃くということもあろう。とにかく火。これが点されないところでいくら考えたって、それはまさに泥沼に嵌っていくようなもの。イメージが収斂するためには、装丁担当者が編集者に向かい「そんなんじゃできません!」とキッパリ言う場面があっていいだろうし、編集者も、装丁担当者に向かいどんどんイメージをぶつける、伝える、浸透させる必要があるだろう。