カリブマレイ

 小社装丁室の愛ちゃんが『狩撫麻礼作品集 カリブソング SIDE B』を貸してくれたので、一気に読む。そして思った。この作者、ボブ・マーレイがよほど好きなのだろう。ボブ・マーレイの生地ジャマイカはカリブ海に浮かぶ島、カリブのマーレーを漢字に当てはめ、狩撫麻礼。なるほど。書いてあったわけではないが、『オールド・ボーイ』(これは狩撫麻礼の別名義・土屋ガロンの作)『ハード・コア』『ライブ・オデッセイ』と続けて読んでくると、おそらくそうだろうと想像がつく。
 ふと思い付き、グーグルで「ボブ・マーレイ」を検索したらトップにあったのがこのサイト。ボブ・マーレイならコレという意味だろう、伝説のあの『ライブ!』を紹介している。そうだよなそうだよなと思いながら、学生の頃あのレコードに嵌ってしまい、それ以外の音が薄っぺらく感じたことを懐かしく思い出した。
 このサイト、管理者のあまのじゃくさんが気に入った曲を紹介しているのだが、なんとそこにアランパーソンズ・プロジェクトの『怪奇と幻想の物語』も取り上げられている。当時、あのレコードが欲しくて欲しくて、アメリカに注文し、半年以上掛かってやっと手にしたまでは良かったが、ジャケットが本来のものと違っていてガックシ。それはともかく、こんなに趣味の合う人も珍しい。ピンク・フロイド、イエス、タンジェリン・ドリーム(懐かしい!)、EL&P、キース・リチャーズ等々、ラインナップからいって、年齢も近いのではないか。
 わたしにアランパーソンズ・プロジェクトを教えてくれたのは、大学時代の友人。同じ歳なのに、彼は、ロックでもジャズでもクラシックでも自分の好みをはっきり持っていて、訊けば教えてくれるが、押しつけがましいところの全くない男だった。
 あまのじゃくさんの文章を読みながら、何十年ぶりかで(大げさか)彼のことを思い出した。もしや彼ではないかと思ったぐらい……おそらく違うだろうけど。彼、今どうしているだろう。

おごおごしい

 わけあって皆でパソコンに向かいレンブラントの絵を見ていたときのことだ。学会に持っていく本を用意していた専務イシバシが「レンブラントって、どこか、おごおごしいわよね」って言った。
 おごおごしい?
 発する言葉が最近とみにブロークンかつアバンギャルドになってきているイシバシだが、「おごおごしい」というのは初めて耳にする。
 おごおごしい?
 こういうときに物を言うのが付き合いの長さだ。一般的に単語の誤り、思い違いは、文字がパズルのように入れ替わることによって起こる(たとえば「トウモロコシ」が「トウモコロシ」、「ガリレオ」が「ガレリオ」など。もっとも「ガリレオ」の場合、ガリレオ・ガリレイというのだから、しゃべっているうちに、ガリレオ・ガリレイだったか、ガリレイ・ガリレオだったか、ガレリオ・ガリレイだったか、ガリレイ・ガレリオだったか、だんだん分からなくなってくる。ま、彼を話題にするときは、ガリが付いていれば何となく相手はわかってくれるから良しとしている)ことが多いけれど、弊社イシバシの場合、二つの単語がイシバシ的に合体されて新しい語彙を生み出すことが少なくない。
 おごおごしい?
 われわれがパソコンに向かい例の絵を見入っているときに発したタイミングからすれば、それは、褒め言葉、賞賛の言葉であることは明らかだ。
 ふむ、見えた!「おごおごしい」とは、おそらく「おごそか」と「神々しい」がイシバシ的に合体したのだろう。さっそく彼女に確かめてみたところ、当たっていた。
 そう思って見ると、たとえば「放蕩息子の帰還」などレンブラントの絵というのは、どれも確かにおごおごしい。

惚けのはじめ

 「愛ちゃん、手塚治虫の『どろろ』知ってる?」
 「はい、知っています」
 「お、知ってる。さすが、愛ちゃんだね、『どろろ』を知ってる」
 「はい」
 「そうかそうか、えらい、あんたはえらい!」
 「いえ、そんな…」
 「貸してあげようか『どろろ』」
 「……」
 「どうしたの、読みたくないの」
 「わたし、持っています」
 「は? あ、そう」
 「わたしの一番好きな漫画なんです」
 「へー、そうなんだ。一番好き? へー、気が合うねえ。おらも好きだよ、あの漫画。『ブッダ』と同じぐらい好きかもな」
 「『ブッダ』はストーリーの詰めが甘いと思います」
 「なるほどねえ。天才手塚も愛ちゃんに掛かっちゃ、かたなしってわけか。史実を無視してストーリーを展開するわけにも行かんかったろうからなあ」
 「あのう」
 「ん?」
 「あのう」
 「なに?」
 「……」
 「どしたの? おら、なんか気に障ることでも言ったか?」
 「そうじゃないんですけども、いま話したことと全く同じことを、以前、三浦さんと話したことがあります」
 「へ? ○×△□★◇@£$♂♀℃¥☆〒※▼△∈∋∪∀」
 「あの時も、わたしが『どろろ』が一番好きで全巻持ってるって言ったら、三浦さん、今と同じように驚いて、それから、今と全く同じように『ブッダ』の話もされました」
 「へー、あ、そう。へー、あ、そう。デジャビュじゃなくて。こりゃ参った。あははははははははははははは……………」
 笑って誤魔化すしかなかった。

仕事がトンズラ

 二日に渡りイシバシネタが続くことになるがご勘弁、いろいろ愉しい話題を提供してくれる人なのだ。
 仕事の帰り、ふたり連れ立って紅葉坂を下りていた時のこと、イシバシが概ね次のように言った。
 S社のKさんと会う機会があり仕事の話になった。同業なのでお互いに質問し合い、参考になる話をいろいろ聞かせてもらった。出版時期の遅れについて尋ねたら、Kさん曰く、そんなのは当り前の話で、それどころか、一旦やるとなった企画でも、途中さまざまな理由から仕事がトンズラし、結局出来なくなることも多々ある。如何なる理由があっても、一度決めたことを途中トンズラさせるのは、わたしイケないことだと思ってきたけれど、そんな風に几帳面に考えなくてもいいのかしら、と思った、云々。
 「イシバシさん」
 「はい」
 「今の話なんだけどさ。内容はともかく…」
 「なんでしょうか」
 「いくらなんでも、トンズラはないだろう」
 「え!?」
 「頓挫じゃねーの。仕事が頓挫するの頓挫」
 「は。トンザ。トンズラじゃなく…。ははは、そうね、そうだわね、トンザトンザ」
 「たのむよ、出版社なんだからさあ。でも、なんだな、考えようによっては、仕事が頓挫し、スタコラサッサとトンズラした、という風に考えると、あながち間違いでもねーか」
 「いいわよ、慰めてくれなくたって」
 「あはははは… ま、そんな怒るな怒るな。頓挫がトンズラならまだ許せる。このあいだなんか、『倭寇』が読めずに「ワかんむり、ありますか」と言って注文してきた都内某有名書店員がいたもの」
 「トンズラのこと、よもやまに書く気でしょ」
 「書かねえ、書かねえ、書かねえって! 大丈夫だよ心配すんなよ」
 でも、面白いからやっぱり書いた。ま、いいじゃねーか。

腹が収まらない

 昼飯を食いながら、興奮冷めやらぬ体で専務イシバシが話し始めた。
 朝、南行徳の駅から乗って最初の乗換駅に着く。タタタと小走りに階段を駆け上がり、いつもの電車に乗ろうとしたら、乗り込むはずの電車が目の前を通り過ぎていった。電光掲示板には確かに8時26分とある。イシバシ、自分の腕時計を睨む。8時25分。おかしい。こんなことがあるのか。こんなことが平和ニッポンの国において許されていいはずがない。ホームにいた駅員に詰め寄り、おかしいじゃないか、わたしゃ、いつも8時26分のに乗って会社に行くんだよ。今日だっていつも通り家を出たんだ。1分ぐらいの余裕をもってこのホームに来るのに、おかしいじゃないか、電光掲示板にちゃんと8時26分て出ているのに、なんで8時25分に発車するんだ。おかげで乗り遅れちまったじゃねえか、ブリブリ。
 詰問された駅員にしてみれば、そんなこと私に言われても、の心境だったろう。結局、電光掲示板が間違っていたのでしょう、と、巧くかわされたそうだ。駅員、苦肉の逃げ口上を発したのだろうが、考えてみれば、それも納得しかねる説明ではある。
 腹が収まらないのがイシバシだ。ブリブリしながら已む無く次の電車を待ち、それに乗って新橋駅に着く。ひとつ遅れると次々連鎖反応を起こすのが世の常。乗り継ぎが悪く、新橋駅のホームでさらに待たされる羽目になった。どうにも腹が収まらないイシバシは、またまたホームにいた駅員をつかまえ詰め寄った。わたしゃ、このあいだまで9時18分の東海道線に乗って会社に行ってたんだよ。朝、しなければいけないことがあるときは、その前の9時11分と決まっていたのさ。それがなんだって2本ともなくなっちまうんだ、おかしいじゃないか。そのおかげで、わたしの朝の行動が全部狂っちまっただよ。どうしてくれんのさ、ええ、どうなんだい。ブリブリッ、ブリブリッ、ブリブリッ。
 「それでどうした?」と、わたし。駅員「そんなことわたしに言われてもねえ…」と答えたそうだ。そうだろうそうだろう。イシバシも、そんなことを駅員に訴えても仕方がないのは初めからわかっている。でも、前の電光掲示板の一件がどうにも腹に据えかね、言わずにいられなかった。考えてみれば、言われた駅員も気の毒な話。発車時刻の変更で、それもかなり以前からそうなっているのに、ホームでいきなり客から詰問されたのだから。
 しかし、このエピソード、イシバシの真面目と一本気、理屈ではわかっていても止むに止まれぬ心情が吐露されており、元気をもらう話だったから、ここに記して朝のイシバシの労をねぎらうことにする。

「今」をわたす名刺

 好きな国語辞書『大辞林』で「名刺」をひくと、「小形の紙に、氏名・住所・職業・身分などを記したもの。普通、初対面の相手に渡す」とある。
 あるとき、多聞君と話していて、名刺の概念を変えるような名刺を作ろうかということになった。聞けば、多聞君、子どもの頃からカードが好きでいろいろ作ってきたのだという。多聞君自身の名刺を見れば、どういう感じかつかめるだろう。
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 これを見て閃いた。『大辞林』の説明を待つまでもなく、名刺は、日本的な風習として受け継がれ、いろいろ批判もあるようだが、現在もなくなってはいない。これを逆手にとって、面白おかしく展開してみてはどうだろう。つまり、個人でも組織でも、外の肩書きよりも、今の自分の方針、内面、肩書きとは違う外面、要するに、おれの「今」、わたしの「今」、会社の「今」、お店の「今」を一枚の名刺に集約し表現する。印刷はスクリーン印刷。詳細はともかく(笑)、これが凸凹していていい感じなんだ。日本でやれば相当高価なものにつくらしいが、インドでは割りとリーズナブルに作れる。ということで、今回、サンプル的にわたしの名刺を作ってもらった。下図参照。
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 こんな風に考えている。まずわたしが、AさんならAさんから、どんな「今」をお持ちか尋ねる。要するに、コンセプトですね。これを多聞君に伝え、一枚の名刺(オモテ・ウラ)をデザインしてもらう。Aさんにお見せし、お、すげー!! となったらインドで(!)印刷する。枚数は、そうね、500枚ぐらいが目安でしょうか。料金はデザイン料+印刷費+運送費ってとこでしょうか。少々割高でも、名刺自体から話題が拡がるような、もらった人が嬉しくなるような、そんな名刺になればいんじゃないか。
 業として動き出せば料金体系など作る必要も出てくるでしょうが、とりあえず、口コミでいくつかやってみようかと考えてるところ。

モンクな気分

 セロニアス・モンクを学生のとき初めて聴いて、なんじゃこりゃと思った。めちゃくちゃ調子っぱずれでデタラメで、適当に鍵盤を叩いているようだったから、これならピアノができない俺にだってできるわい、と不遜にも思った。
 しかし、そんなことはないのだった。今だって調子っぱずれに聞こえることもあるけれど、ある気分の時に聴くと、なんだか、話の通じる友達と一緒にいるようなそんな気さえしてくる。気持ちが落ち着く不思議な音。
 1954年のクリスマス・セッションで、マイルス・デイヴィスが自分のソロ演奏中にモンクがピアノを弾くことを拒んだという話があるが、それぐらいモンクの個性は強かったということだろう。
 モンクのピアノソロを聴いて気持ちが落ち着く自分と、とても聴く気になれない自分がいるわけだが、このごろは落ち着くほうが多くなったかも知れない。
 安原顯さんにとってのピアノ・ソロ「ベスト1」が『セロニアス・ヒムセルフ』というのも面白い。