お知らせ

いつも楽しくお読みくださり、まことにありがとうございます。
諸事情により、本日の「よもやま日記」はお休みとさせていただきます。みなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、近日中に連載再開いたしますので。
それではよい連休を!(春風社)

辞書の話

 最初に買った辞書は岩波の国語辞書(だったと思う)。おそらく中学校に入った年に買ったもので、今では表紙など、もうボロボロになっている。表紙の見返しにへたくそな金釘流の文字で自分の名前が書いてある。
 分からないことばが出てきたら辞書をひくと教えられた。初めて夏目漱石の小説をひらいた時、1ページに十数個も分からないことばが出てきていやになった。辞書というのは学校の先生と同じで、訊けばなんでも知っている、あいまいなところのない、ちょっと恐い、すこし面倒くさい存在だった。
 学校を出、就職し、転職。本にかかわる仕事について、辞書が「訊けばなんでも知っている」威厳のあるモノサシのような存在ではなくなった。
 辞書というのはどれも同じと思っていたのが、そうではなく、現時点における過去の集積、まとめる人が違えば、まとめる時が違えば、内容もおのずと違ってくると知った。また、語源辞典などをひくと、こんな風に言われているけれどもよく分からないという記述にしばしば出くわす。分からないなら、辞書の辞書たるゆえんがないではないかとも思うが、落ちついて考えれば、バカボンのパパ同様、それでいいのだと思えてくる。何に関することであっても、完璧な辞書というのはどこにも存在しない。編者の数だけ辞書がある。人によって、ことばを、この世の事象を、歴史をどう見るのか違っている。
 何事によらず、知らないことを知ろうとする時の一里塚が辞書で、辞書は、その先へ分け入っていく楽しみへ後押ししてくれる。ひいてひいてひきまくる。すると、未知の山があっちにもこっちにもデンとあることに気付く。

世界遺産

 「富士山を世界遺産にする国民会議設立記念パーティー」という長い名前のパーティーに出席。会長が中曽根康弘元総理、副会長が平山郁夫東京芸術大学学長、副理事長に元の文部科学省大臣の遠山敦子氏など、そうそうたるメンバーが名を連ねている。
 『変わる富士山測候所』の版元ということで、著者の土器屋先生から声をかけていただいた。3年かけて世界遺産にしようということで盛りあがった。中曽根さんのあいさつは、政治家のそれというよりも、なにやら民俗学者か国語学者のような雰囲気があり、しみじみした声だった。ずいぶんお年を召された。
 ゲストに歌手の林明日香が来ていて「林明日香さんとともに歌う日本の歌」をいっしょに歌う。
 わたしの声はでかいので目立たぬように1オクターブ下げて歌った。1曲目「おぼろ月夜」、2曲目「富士山」。「富士山」の一番の歌詞に「かみなりさまを下に聞く」を林がマイクを通したでかい声で「かみなりさまを上に聞く」と間違えたのは可笑しかった。雷の音を上に聞くでは普通だろと思った。でも、可愛かったし一生懸命歌っていたので、よかった。なんのこっちゃ。
 新調したばかりのスーツに魚介のマリネの汁をこぼした。最悪。電車でそれと知り、ギャッ!となった。保土ヶ谷駅で電車を降り、スーパーでベンジンを買い、家に帰って布に含ませパンパンパンと叩いたら目立たなくなった。

日本全国総休業

 いよいよゴールデン・ウィークが近づいてまいりました。今年は特にその名にふさわしく、うまくつなげば10連休という途方もないことになるわけで、庶民としては喜ばしく、会社や個人業主の方たちは喜んでばかりもいられない、といったところか。
 先日HMVに行ったときのことだ。ゴールデン・ウィーク期間中にCDを買うと、合計金額の10%引き、のクーポン券をもらった。実際に足を運ぶかどうかは分からないが、逆の立場で考えれば、なんとか客を引きつけようという苦肉の策であることがよく分かる。なんたってひと月の3分の1が休み、だから給料も休み、ということにはならないのだから。
 『新井奥邃著作集』本巻9冊の刊行がすでに終り、残すところ別巻のみとなった。ただいまこれを年内刊行できるかどうかの瀬戸際にあり、よって、福岡からコール先生をお招きしゴールデン・ウィーク期間中に十数度目かになる編集合宿をおこなうことにしている。『新井奥邃著作集』にクーポン券を付けても売れ行きが伸びるとも思えず、それよりも、完成度の高い別巻を刊行予定からあまりズレ込まずに出すことが購読してくださる方へのクーポン券、のつもりで充実した合宿にしたい。その後二日は休めるし、わたしにとってはそれで充分。小さい子供を持つ世のおかあさんおとうさんにしてみれば、子供とじっくり付き合うよい機会、普段の仕事以上に充実しつつも、くたびれる10日間になるのだろう。がんばれ!!

北海道物産展

 横浜高島屋で北海道物産展をやっていた。エレベーターを8階で降りるとプーンとサカナの匂いがする。移動する客とぶつからないように注意しながら歩く。イカ、カニ、エビ、ホタテ、ニシンなどを使ったお惣菜がふんだんにあり、だけでなく、試食の大サービス。これか、と思った。
 なんでこんなに人が多いのか最初不思議に思ったが、タラバだ、ズワイだ、甘エビだ、と惜しげもなく差し出され「どうぞどうぞ」とすすめられる。試食したら買わなくちゃならないのか、の気兼ねをしている暇もないほど人でごったがえしている。みなさん、やはり気兼ねなく試食しているご様子。そうか、それならと、わたしも負けじとばくばく食った。特にタラバ。北海道ならともかく、こっちでタラバの試食が気兼ねなくできることなど、そう滅多にあるものではない。
 夜、小料理千成のカッちゃんにそのことを告げたら、デパートで人を呼ぶのに北海道物産展は一番なのだという。昔その手の仕事もしていたとか。二番が京都で三番が九州。いわれてみれば、たしかにそうだ。秋田物産展、青森物産展なんて聞いたことがない。ほかの県も同様。ここに地域活性化のヒントがあるか? …………………………………………………ないか。

よく見る

 演出家の竹内敏晴さんと電話で話す。大阪の、あるグループでやった座談会の録音テープの感想を求められ、そのことについて話したのだが、話しながら、竹内さんのことばについての認識のひとつに「ことばというのは相手の側で成り立たなければ意味がない」があることを不意に思い出した。
 いくら一生懸命しゃべっても、自分が自分がと、相手を盾にして目が自分に向いているかぎり、ことばが相手に触れたり相手を突き動かすことはない。その意味で、ことばはやはりアクションなのだろう。問題は、相手をよく見、そこでなにが動いているかを知ることだ。その動きを感じわけ、同調したり、反発したりしながら、流れを加速させ、またゆるめ、別の方向へもっていったりと、ジャズの即興演奏に近いコミュニケーションが生まれてくる。よく見るためには、アメーバのように瞬時にかたちを変えるからだの柔らかさ、自在さが必要。そんな言い方でいいかどうか。
 わたしにはまだよく分からないけれど、ことばがそういうふうに成り立つとすれば素敵なことだとは思う。できるなら、そうなりたい…。話すことで自分が楽しい、気持ちいい、ふつふつとよろこびが湧いてくることももちろん大事、でも、向き合うひとにおいてことばが成り立つことは、それと次元を異にしているように思うのだ。対岸の火をこちらで見ているのと、しゃにむに川に入り泳ぎ出すことの違いといったらいいだろうか。ことばを話し、それが相手に届き、そこで成り立つとき、自分を見ている余裕など無いに違いない。
 向き合う相手とそういう関係になることは、とても魅力的だけれど、そんなふうにはなりたくない気持ちもある。ことばに隠れる安穏を願うこころがある。

3冊同時

 『神の箱』『カレワラ物語』『さなぎの時代の教育学』が同時にできあがる。ジャンルも厚さも内容も異なるが、社員一同手に取り、あ、これいいね、これいいね、と大盛り上がり。手前味噌な話です。
 原稿をいただいてから半年、一年の仕込み期間があってようやく日の目をみるわけだが、途中のことを思い出すにつけ感慨もひとしお。焼き物をしたことはないけれど、釜から出すときというのはこんな気持ちに近いだろうか。
 うれしいことと気の萎えることが同時に起こりボロボロな一日だった。寝て起きてもまだ晴れない。