散策

 

 関が原の記憶を覚ませ寒桜

ご近所のひかりちゃん、りなちゃん一家の
クルマに乗せてもらい、
三浦海岸のさくらまつりに行ってきました。
種類によっては今が盛りなんですね。
この季節に満開の桜というのを初めて見ました。
土地の人たちは、この時期にこの花を見ることで、
春の訪れを感じるのでしょうか。
花見客も大勢出ていましたが、
まだ二月ですからさすがに寒く、
簡易トイレの前には行列が。
いっしょに行ったひかりちゃんは、
このごろ百人一首にハマッていますが、
花の中で桜がいちばん好きだそうです。
百人一首と桜が好きなひかりちゃんです。

 河津桜夢に見るよな厠かな

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活字と本

 

 博文館農業日誌父の春

春と秋の二回だしている春風目録新聞ですが、
昨日その打ち合わせがありまして、
次号の特集テーマが「活字と本」に決まりました。
活字とは、もともと活版印刷に使われる字型で、
主に鉛合金が用いられていましたが、
「グーテンベルクからグーグルへ」の言葉に
代表されるように、
活版印刷そのものが骨董的になってしまいました。
いま「活字」といえば、
活版印刷に使われる字型ではなくて、
電子媒体で見られる文字に対し、
紙に印刷された文字
という意味で使われることが多いようです。
電子媒体を視野に入れ、
春風社もいつか電子ブックへ移行するように
なるかもしれませんが、
いずれにしても紙の本が基本ととらえ、
紙にこだわっていこうと思っています。
なので、「活字と本」。
乞う、ご期待!

 三年日記十冊越えし父の春

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ホッカイロ

 

 バネ指よそんなに母を苛めるな

今朝は雪が降っています。
わたしの中の子どもは喜び、
大人は今日の一日を思って、気が萎えます。
このところ、使い捨てカイロ、
いわゆるホッカイロを使っています。
ホッカイロは、株式会社白元の商標でしょうけれど、
ホッカイロといえば通じますから、
かなりの当たり商品なのでしょう。
ところで問題は、どこに貼るか。
どんなに寒くても、
わたしはTシャツとセーターしか着ません
(その上に、ダウンジャケットやコートは着ます)から、
どっちかに貼るしかありません。
セーターの上に貼ると、程よい暖かさなのですが、
ぽかぽかと気持ちよいものですから、
貼っていることをつい忘れ、
廊下で隣のオフィスの女性とすれ違いあいさつしたときなど、
ハッとして後ろを振り返ることもあります。
それぐらいならまだいいのですが、
大事な仕事の打ち合わせで外で人に会うときなど、
ホッカイロを貼った姿を見られては、
決まる仕事も決まらない(かも知れません)。
というわけで、
内側のTシャツに貼ることになりますが、
これはこれでなかなか微妙です。
布一枚隔ててだと、どうしても熱くなりがちで、
それを避けるために、
貼っている箇所と皮膚の間に空白を作り出すべく、
腰を前に突き出す格好になります。
ドリフターズの加藤茶が、昔、肥えタゴを担いで、
ちょっと卑猥にカッコンカッコン歩くギャグがありましたが、
あれに限りなく近い格好になります。
結局、内側にもう一枚着たほうが良さそうです。

 バネ指を湿布で寝かす母の冬

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こんな日も

 

 午後三時冬居て布団恋しかり

昨日、「忙しい一日になりそうです」と
この欄に書きましたが、
忙しいよりも、楽しい日になりました。
午前中お目にかかった盆栽の先生は、
高校生のときに盆栽展を見に行ったのが
そもそものきっかけだったらしく、
その時どんな風に感じましたかと問うと、
盆栽というのは憑代(よりしろ)であると。
松はまた、神様を待つから松でありますと。
午後からは新座にある十文字学園へ。
宮城教育大学の学長だった横須賀薫先生は、
今は十文字学園で学長代理をされておられますが、
ほかの先生方のいらっしゃる前で、
「三浦さんとはくされ縁でね」とおっしゃいました。
どんな言葉より、ありがたいなあと思いました。
とんぼ返りで夕刻、保土ヶ谷で待ち合わせし、
小料理千成へ。
サントリーを辞し、
今は大学で教鞭をとられている金田先生、
秋田の後輩で日本生命に勤めている遠藤さんとのお話は、
いつも楽しく、
久しぶりに少し飲みすぎてしまいました。
初めてお目にかかったときにご馳走になり、
秋田のいぶりがっこに風味が似ていると感じて
忘れられなくなったサントリーのスコッチウイスキー
「ラフロイグ」に話が及んだとき、
先生、鞄からサッとラフロイグを出され、
おみやげに下さったのには驚きました。
なんというお心くばり。まるでマジック!
遠藤さんが、自分の人生で、
金田先生に出会えたことが宝ですと
おっしゃることの一端を垣間見た瞬間でした。

 コップ酒春待つ親父何してる

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朝一番にすることは

 

 菊水を舌嘗めずりの余寒かな

昨日、風呂から上がり、仏さまに水をあげ、
さてそろそろ会社へ行こうかと思っていたら、
電話が鳴りました。
父方の叔母からでした。
電話してくるのは珍しく、いろいろ話してくれた中に、
亡くなった祖父は、朝、眼を覚ますと、
その日一日の段取りを布団のなかで考えてから
起き出したというエピソードがありました。
それにならい、叔母もそうしているそうです。
几帳面なところのある祖父でしたから、さもありなん!
晩年、血圧の薬やらなにやら、いろいろ飲んでいましたが、
飲む順番があって、
宗教儀式のようにそれを正確に守っていました。
順番を乱すと、健康が害われでもするかのように。
さて、わたしの今日の予定は、
午前中、京都から盆栽の美人先生が来社、
午後から埼玉にある十文字学園訪問、
とんぼ返りで夕刻、保土ヶ谷駅で秋田の後輩、
元サントリー人事部部長さんと飲み会。
忙しい一日になりそうです。

 菊水の一番しぼり春よ来い

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人間理解

 

 本二冊読んで顔上ぐ余寒かな

犬が飛びついたって、馬が鼻をこすってきたって
「嫌よ、嫌よ」なんて気取らないでしょう。
正直に「可愛いワ」という。
ところが人間同士になるとそれを素直に表現しない。
ひどいのになると、自分のやりたかったことでも、
他の人がサッサとやっているのを見ると、
もう自分のやり度いという考えをサッと捨てて
「いやらしい」とか、
「あんなことやってどうするつもりなのかしら」とか
「まア厚かましい」とか、
そういうことやっているのが間違っている
というような表現をすることは珍しいことではない。
その逆に、そういうことをやっている相手が
自分の好きな人だと、
自分のやりたくないと思っていたことでも
ツイ良く見てしまったり、
又同じことを自分迄がやってしまうことさえあるのです。

以上は、整体の提唱者・野口晴哉の
『人間の探求』のなかの一節です。
野口さんはまた、この本の「序」に、
「世の中はいろいろ変ったが、
ここで説いていることは、これからも変らぬことと思う。」
と記しています。昭和四十九年二月とありますから、
三十六年前のことです。

 長靴を取り出し名残の雪となり

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耳鳴りほどの

 

 文庫本かじかむ指を滑り落つ

きのうは「建国記念の日」で休日でしたが、
仕掛かりの『明治大正露文化受容史』の
最終打ち合わせのために、著者と会社で打ち合わせ。
わたしは、他の仕事もありましたし、
せっかくですから、
約束の時刻より一時間前に出社しました。
すると、なぜか、
忌野清志郎さんの「パパの歌」を思い出しました。
「昼間のパパはちょっとちがう」。
作詞は糸井重里さん。そのメロディーで、
「休みの会社はちょっとちがう」。
なぜならば、だれもいないし、音楽がなく、
電話が鳴らず、超静かで、耳を澄ますと、
耳鳴りが聞こえてきそうなぐらいだからです。
二時間かけて来てくださった著者との確認は、
二十分ほどで終り。
また二時間かけて帰られることを思うと、
申し訳なかったのですが、
お越しいただき話ができたことで、
安心して下版できます。

 きんきんと耳鳴りほどの余寒かな

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