連想

 

 晴れ晴れとビルの谷間の余寒かな

テラチーが今編集している本で、
『インカ帝国の成立』という大部のものがあります。
内容がすばらしく、
仕事ではあっても、テラチーはワクワクしながら読み、
編集しています。苦しいだけの仕事は長続きしません。
書店に案内するチラシが、
テラチーのパソコン台の上にありました。
インカ帝国の成立、と横文字で記され、
その横にピラミッドのような建造物の絵があしらわれています。
それをジッと見ていたら、どういうわけか、
内容とは関係なく、ピラミッドの角がとれ、
ほんわかと渦を巻いた粘着質の物体に変貌し、
あ! まずい。まずい。この流れはまずい! と思いつつ、
インカの「イ」の字が「ウ」に、
インカの「カ」の字が「コ」に、
うにゅうにゅと形を変えていきます。
こういう不届きな子どもじみた連想がときどき起こります。
連想はさらに成田為三に飛び火しました。
成田為三は秋田県出身の有名な作曲家です。
「浜辺の歌」などを作りました。
わたしは成田為三という人を知って以来、
変な名前だなー、と思ってきました。
「為」と書いて「ため」と読みます。ためぞう。
ためぞう、ためぞう、と口で繰り返しているうちに、
不意に「成田ウンコ貯めぞう」が口を突いて出ました。
わたしは単にウンコが好きなだけかもしれません。
成田為三の名前を見ると、必ずウンコを連想し、
ウンコを思うと逆に成田為三に思考が及びます。
それからわたしは、小声で「あし~た~ は~ま~べ~を」
などと歌ったりもしました。
しているうちに、むらむらと童謡が聴きたくなり、
アマゾンで調べて、四枚セットのCDを買いました。

 乗り換えのホームを掃いて春の風

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卒業式

 

 十八点下版の夜の沈丁花

弊社が入っているビルの四階はホールになっていて、
例年、この時期になると、
そこでいろいろな学校の卒業式が行われます。
昨日も着飾った娘さんたちとお母さんたちで
入口付近がにぎわっていました。
きれいな花が生けられ、
かぐわしい香りが辺りを包んでいます。
卒業の喜びと切なさと、
友と別れる寂しさがこちらにも伝わってくるようです。
このごろわたしは、
もっぱらアマゾンで買い物をしていますが、
ちょうど昨日、
いきものがかりのCD『ハジマリノウタ』が届きました。
「YELL」も入っています。
近所の小学六年生のひかりちゃんが
カラオケで歌うのを聴いて知ってから、
好きになった曲です。
「YELL」には、
「サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL」
とあります。だらだらした叙情に走らず、
ぐっと涙をこらえている感じが好きです。
ひかりちゃんも四月から中学生。
今は百人一首にハマっていますが、
親にも友達にも言えない、
自分でも分からない思いや感情や願いをはぐくみながら、
ステキな大人になっていくのでしょう。
さて今日もまた、
どこかの卒業式が四階ホールで行われるかもしれません。

 春うらら仕事放って立ち小便

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1135

 

 白浪を立てて舟行く賢島

きのうは、昼に印刷所の担当が
来社することになっていましたので、
その前に昼食をとっておこうというわけで、
早々に近くの交差点角にあるお店に入りました。
11時35分。
きょうは一番だろうと思いきや、
なんと、すでに五人もいるではありませんか。
カウンターにいつもの男性二人。
テーブル席に女性三人。
したがってわたしは六番目。
女性三人がいぶかしげにわたしを見ました。
驚きと不安の表情が顔に貼り付いていたかもしれません。
五人の前にはまだトレイが置かれていません。
担当者が来るまでに会社に戻れるだろうか。
だんだん心配になってきました。
やっとランチが出てきて、
わたしはもう、わき目も振らずに、
一心不乱に、ご飯と味噌汁とイシモチの塩焼きと
鶏カツとサラダとホウレン草とシラスのおひたしと
タクアンと菜っ葉の漬物とおまけにデザートのイチゴ三個を平らげ、
コーヒーは断り、
お代を払って威勢よくごちそう様でしたーと言い、
速歩から小走りに転じてビルまで戻り、
エレベーターなど文明の利器に頼ることをせず、
脇の階段を一段飛ばしでぐるりぐるりと三階まで。
は~。は~。は~。は~。は~。は~。
ケータイを開いてみたら、12時07分。
ドアを開ける。
静かに弁当を食べているイシバシの姿が眼に入る。
よし。担当はまだ来ていない。
ふ~。
こうして戦々恐々の昼食は終りを告げ、
わたしは万全の態勢で席に着き、
運慶の金剛力士像よろしく、口をへの字に曲げ、
鼻息も荒く今か今かと担当の来社を待っているのでありました。
終り。

 賢島おぼろに島の停泊す

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静日

 

 五十鈴川神を宿して水温む

電話がかかってきたり、
こちらからかけたりすることもたびたびですが、
総じてとても静かな一日でした。
机に向かって原稿を読んでいると、
他に人が居ないように思える瞬間もあり、
おや? と思うのですが、
ゲラをめくる音が聞こえてきますから、
やはり人は居ます。
集中の気が充ちているのでしょう。
東京商工リサーチの調査によると、
出版社の倒産数は昨年が72で、
平成始まって以来の記録となりました。
安閑としているわけにはいきませんが、
日々の仕事を着実にこなし、
人様に喜んでいただける本作りを続けたいと思います。
ライターの森王子(玉子でなく)さんが書いてくださった
記事がミシマ社のミシマガジンに掲載されました。
春風社の仕事についてのインタビュー記事です。
こういう方向へ行きなさいと、
仕事から教えられます。

 黒松や新芽萌え出で神を待つ

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今週は

 

 杉古木おかげ参りの弥生かな

今月は、春風社始まって以来の刊行点数になりますが、
今週ですべて下版しなければなりません。
印刷所に版下やデータを渡すことを下版(げはん)、
または降版(こうはん)といいます。
途中、印刷所から送られてくる白焼き
(正式の印刷に付す前の試し刷りのようなもの)を
チェックしなければなりませんが、
あとは本が出来てくるのを待つしかありません。
ホームページ上の新刊の表紙も大幅に交代します。
乞う、ご期待!

 健康に勝る宝なし伊勢神宮

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ケンチャナヨ

 

 ふみ待ちてそわそわ顔の弥生かな

今月末刊行予定の『釈譜詳説』(上)のチェックのため、
昨日も河瀬先生にお越しいただき、
結局、四日連続でお運びいただいたことになる。
天才多聞くんの天才ぶりが今回も遺憾なく発揮され、
ほれぼれする装丁のラフができた。
先生の奥様もたいそう喜んでくださったそうだ。
ラフの紙を撫でさすりながら、先生は、
韓国の人はきっと驚くだろうとおっしゃった。
韓国では、本を作るのにそんなに凝らないらしい。
自前で紙を出力し、束ねて糊付けし、
それで本を出しましたというようなイメージがあるという。
以前、『僕の解放前後 1940-1949
(柳宗鎬(著)/白燦(訳)/太田孝子(日本語校閲))ができて、
韓国の原著者に送ったとき、
柳先生は、日本の本作りの技術をいたく褒めてくださった。
アメリカの場合も、ペーパーバックで代表されるような、
割りと簡易な製本が多いのかもしれない。
本を情報として読む文化と、
そうでない文化の違いがあるような気もする。
情報として本を読む文化が一般的な地域では、
電子ブックへの移行が速やかに行われるだろう。
韓国語で「気にしない」ことを、ケンチャナヨと言うそうだ。
ケンチャナヨ、ケンチャナヨ。
気にしない、気にしない…。
気にしないことがいいのか、気にすることがいいのか。
善し悪しの問題でなく、
本作りに対する意識の違いがあるようにも思える。

 春風や朝日とともに匂ひけり

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撫でさする

二階の子見ぬ間にデカくなりにけり

今月末刊行予定の『釈譜詳節』(上)のチェックのため、
三日連続で、訳者の河瀬先生にお越しいただいた。
『釈譜詳節』は十五世紀、
ハングルが発明されると同時に
ハングルによって記された釈迦伝であり、
韓国仏教の粋、
韓国文学の古典中の古典とされるものである。
河瀬先生は、
高校で国語を教えながら独学で韓国語をマスターし、
定年前に勤め先の高校を辞し、
韓国の東国大学大学院に入学、韓国仏教を勉強されてきた。
今回の翻訳は、その成果でもあるわけだが、
わたしはこの訳業を休日、少しずつ読んできた。
静かな心で集中して読みたかったからだが、
その過程で、この仕事が大変な偉業であることに
だんだんと気づかされた。
『新井奥邃著作集』を出すときの興奮がよみがえった。
昨日、忙しい多聞君に無理をお願いし、
装丁の最終バージョンをメールで送ってもらった。
出力して先生にお見せすると、
先生は、それを撫でさするようにして、
しばらく眺めていた。
わたしは、その様子を多聞君に伝えた。
社員一同も、先生のお人柄に触れながら、
協力し、仕事の醍醐味を味わったはず。
ありがとうございました。

なつかしき人に会ひたき弥生かな

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