オスとメスで字が違う

 

 初桜季節外れの墓場かな

たとえば牛を漢字で書くと、オスでもメスでも牛ですが、
英語だと、オス牛はox、メス牛はcow。
飼わなくてもカウ、なんて。
冗談はさておき、
オスとメスで字が違うということは、
それだけ人間の生活に深くかかわり、
それぞれ意味がことなることの表れでもあるのでしょうか。
昨日、一昨日と神奈川大学でクジラに関する
国際シンポジウムがありました。
国際常民文化研究機構主催による
「海民・海域史からみた人類文化」というものです。
作家のC.W.ニコルさんの「勇魚の人々」、
総合地球環境学研究所の秋道智彌さんの
「鯨墓と鯨供養を再考する」など。
クジラがいかに日本文化の諸相に深くかかわっているかを
教えられた有意義な二日間でした。
さて、クジラといえば、ふつう「鯨」と書きますが、
これはとくにオスのクジラを指すそうです。
メスは「鯢」。
家に帰り、さっそく漢和辞典で調べてみましたが、
たしかにそう書いてあります。
知りませんでした。
もともと、オスのクジラを獲り、
メスのクジラは獲らなかったということでもあるのでしょうか。
泳いでいる姿で雌雄が判別できるとも思えないから、
そんなことはないか。分かりません。
どなたか分かる人がいたら教えてください。

 風立ちぬ瞼の裏の初桜

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秋田魁新報

 

 おぼろにて独りたたずむ太平山

映画監督の大嶋拓氏に同行し、
秋田魁新報社と秋田放送を訪ねてきました。
「魁」は、あまりなじみのない漢字ですが、
「さきがけ」と読みます。
他にさきがけて、の意味でしょうか。
秋田魁新報は、全国で四番目に歴史のある新聞です。
来月刊行される傑作戯曲『法隆寺』は、そもそも、
魁に掲載された拙著『出版は風まかせ』の書評を
大嶋監督がお読みくださったことが始まりでした。
『法隆寺』の著者は、
秋田出身の「異端の劇作家」青江舜二郎で、
大嶋監督は青江のご長男。
また、今月刊行される『物権法概説』は、昨年六月、
魁に掲載された拙稿「出版社は絶滅危惧種!?」を
ノースアジア大学の小泉健理事長が読んでくださったことが
きっかけですから、
魁さんには足を向けて寝られません。
今回、大嶋監督からお声を掛けていただいたおかげで、
秋田魁新報社文化部の方々と親しく話をすることができました。
いろいろな意味で、
今後につながっていく予感を強く感じた次第です。
ちなみに文化部の佐藤元氏は、わたしと高校の同期。
わたしE組、元氏F組、
となり同士でしたが、
当時は話す機会がなく、過ぎてしまいました。
三十四年たって初めて話をしたことになります。
また、
秋田放送でお目にかかった菅原実氏も高校の同期で、
わたしが陸上部でひーひー言って
グラウンドを走っていたとき、
若き菅原氏は、サッカー部のゴールキーパーとして
爽やかな汗を流していました。
走らなくても済むゴールキーパーをちら見し、
羨ましく思いながら、とにかく、
ひーひーひーひー言いながら走っていたことを思い出します。
縁は不思議です。ありがたいことです。

 寿司や寿司腹きりきりと春の宵

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春バージョン

 

 青山を仰ぎ春日の散歩かな

弊社ホームページのヘッダーの写真
「橋本照嵩のフォトストーリー」が春バージョンに
換わりました。
ひと目見て、ふわーと、春だなーと感じるものもあれば、
じっくり見ても、どうしてこれが春?と、
いぶかしく感じるものもあります。
どの写真がお好みでしょうか。
また、再読み込みのアイコンをクリックすると、
つぎつぎ写真が替わって、
それぞれ独立した写真であるにもかかわらず、
写真家の個性が反映され、
春の物語が醸し出されてくるようです。
どうぞ、お楽しみください。

 元さんを囲み春日の宴かな

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帰省

 

 里山に鶯来り富士見かな

今日(22日)から24日(水)まで帰省します。
このところお世話になっている秋田魁新報社への挨拶を兼ね。
したがいまして、
つぎの日記は25日(木)となります。
よろしくお願いします。

 ゴミ出しの朝晴れ渡るホーホケキョ

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不可逆

 

 嵐去りズボンの下の余寒かな

今年は電子ブック元年だそうで、
いろいろなところでそれに関するコメントを目にします。
出版社の人間としては気になるところです。
「スノッブなインテリは、紙で本を読むようになるだろう。」
などと扇情的な意見を言う輩もいますが、
どうも新しいメディアに乗った仕事で
生計を立てている人のようです。
そんなことを言われたら、
わたしのように旧来の紙の本をつくることで
生計を立てている人間は、頭にきて、
「鈍感なインテリは、電子ブックで本を読むようになるだろう。」
と見栄を張り、喧嘩を売りたくもなります。
いずれにしても、あまり褒められたことではありません。
いまわーわー声高に叫んでいる人々を尻目に、
本も電子ブックも存在しているような気もします。
行く河の流れは絶えずしての言葉どおり、
時の流れを元に戻すことは叶いませんが、
仲のよい近所の子どもが、プレゼントした紙の本を
何度も読み返している姿を見るにつけ、
本が人間にとってどういう意味を持つかを解明するのは、
わたしたちでなく、
生まれたときからディスプレイに囲まれて育った世代かなと
思えてきました。
紙の本があたりまえであった時代の人間の、
新しい時代に関する言葉よりも、
ケータイ電話、ゲーム機、
電子ブックがあたりまえの時代の人間の、
古い時代に関する言葉を聞きたい。
きっとそのほうが説得力に富んでいるでしょう。
それにはもう少し時間がかかりそうです。
なので、春風社としては、
しばらくはこのまま紙の本を作っていくつもりです。

 男根の名のみ勇まし余寒かな

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福袋

 

 ひとり酒友が恋しき春の宵

営業の石橋と大木が大学を訪ねるときは、
大量の春風目録新聞を持って出ます。
わずか四ページの新聞でも、
部数が重なると自ずと重くなり、
大きな紙袋いっぱいに入れたとなると、
それは相当の重さです。
ところで、
石橋が大学回りの準備をしていて
目録新聞を袋に入れています。
ふと見ると、
正月にデパートなんかで販売される福袋に
目録新聞が入っています。
ん!! と、目を瞠りました。
石橋は会社にあった紙袋の一つとして
何気なく使ったのだと思いますが、
なんとも底抜けに可笑しい!
新聞が福袋に入っている。
紅白の色をあしらった大胆なデザイン。しかも、あの字体!
営業で大学の先生を訪ねるときの営業ツールが
福袋に入っている。うん。いい!! 傑作です。
デザイナーの多聞君にさっそく頼もうと思います。
春風社福袋。
なんだかパッと明るくなる。元気がでます。

 近眼が老眼伴ふ春日かな

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心意気

 

 マンホール耳を澄ませば亀の鳴く

ヨコハマ経済新聞に掲載された
春風社の記事を読んでくださり、
朝日新聞の佐藤善一さんから電話があったのが
十日ほど前。
朝日新聞の読者にも、
横浜にこういう出版社があるということを記事にし
ぜひ知らせたいとのありがたい電話で、
それから佐藤さんは、
伊勢佐木町の有隣堂本店に走り
拙著『出版は風まかせ』を買ってくださり、
それをていねいに読んだ上で、来社された。
佐藤さんの本には、付箋が何枚も貼られていた。
インタビューは二時間に及び、
写真も撮ってくださった。
どんな記事になるのかと楽しみにしていたところ、
一昨日、佐藤さんから連絡があり、
きのうの朝日新聞神奈川版に掲載された。
それがコレ
この記事を読ませていただき、驚いたのは、
たしかにインタビューに基づいてはいるが、
わたしの話したとおりの言葉は、一つもないことである。
すべて、自分で話を消化した上で、
後から言葉がつむぎ、そうして出来上がった文章だ。
わたしが話したことだから、それがよく分かる。
新聞は、今となってはむしろ
スローなメディアかもしれないが、
インターネットに代表される速報性のあるメディアとは
異なるメディアであることを、目の当たりにした。
佐藤さんは、インタビューを終えての帰りしな、
「春風倶楽部」創刊号に収録されている安原顯さんの
文章のコピーを希望された。
どこにどういうふうに使うのかなと思っていたのだが、
たった18文字、引用というのでなく、
実に見事に用いている。
わたしは今も、丸刈りに銀縁メガネがトレードマークなのだ。
佐藤さんに、メールと電話で御礼を伝えたところ、
へたくそな文章で…と恐縮しておられた。
十年間の春風社の歴史を短い文章でまとめるのは難しいとも。
その言葉がありがたかった。
新聞記者のこころざしと心意気を感じた。

 黙すれど訪ねてみたし春の山

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