夏休み

 昼、チキン夏野菜カレーでも食べようかと音楽通りを歩いていたら、近くにある小学校から生徒たちが溢れ出てきた。ランドセルを背負って友達と何やら話しながら帰っていく。にぎやかなこと。そろそろ夏休みなのだろう。成績表はもらったのかな。都会の子供たちの夏休みを想像しても、とんと見当がつかない。
 拓郎の歌に「夏休み」がある。歌詞の中に出てくる麦藁帽子、蛙、絵日記、花火、トンボ、スイカ、ひまわり、夕立、蝉などは、わたしにとっても夏休みのキーワードだった。拓郎のあの歌を聴くたびに、きゅんとなるような、甘酸っぱいちょっぴり切ない感じに襲われる。というか、夏休みには甘酸っぱいちょっぴり切ない思い出がいっぱい詰まっていて、拓郎はそれを巧く表現したのだろう。
 ところで、拓郎は吉田拓郎。でも、拓郎は拓郎で、吉田拓郎とは呼びたくない。分かるよね。

総合目録

 「学問人」という名が付されている小社の総合目録がある。学問人の絵は畏友・長野亮之介に描いてもらったもの。好評を得ている。
 他の出版社との差別化を図る意味もあって、当初から蛇腹式を採用。畳んで折るとポケットに入るサイズだが、広げると特大の世界地図ほどの大きさになる。馬鹿げていて大真面目でウチらしいと思ってきたが、そろそろ限界に近づいている。刊行点数が増えるに従い面積を要し、印刷に適さなくなってきたからだ。いま、新しい「学問人」の最終校正に社員総出で取り掛かっている。蛇腹式としては最後かもしれない。馬鹿さと真面目さの象徴として、なんとしても継承していきたいのだが…。巻物にすることも考えたが、印刷に適さないという意味では同じだし、トイレットペーパー状のものにしたら、嵩張って、もらった人も困るだろう。何かいい知恵はないものか。今回は良しとして、次回までに知恵をひねり出さなくては。

折り畳み傘

 昨日も今日も雨模様。気温がそんなに上がらないので、しのぎやすい。このごろ折り畳み傘を愛用している。たたむとカバンにすっぽり入るので、どこかに忘れる心配がない。子供の頃から、とにかく傘を何十本忘れたか分からない。忘れないために何か画期的な方法はないものか。ということで、イギリス製の高価な傘を買ったことがあった。いくら忘れっぽいわたしでも、これならいつでも意識が傘に向かい、忘れることはないだろうと思った。高価なものだったので、雨が降ってもその傘をなかなか使う気になれずにビニール傘を使っていた。意味がなかった。
 その傘を初めて使ったのは、会社の飲み会があった時で、忘れもしない。桜木町にある今もある(だろう)洋風居酒屋風の店。仲間と一緒に楽しく飲んで、やがてお開き。勘定を済ませ傘立てを見たら、わたしの傘がない。店のひとに不満をぶちまけるわけにもいかなかった。誰かが間違えて持っていったのか、意図的に持っていったのかは分からない。悔やんでも悔やみきれなかった。以来、高価な傘を持ち歩くことはなくなった。
 重宝している折り畳み傘だが、難点がないわけではない。こまめに乾かさなければならないし、使っているうちに折り目がだんだん曖昧になり、たたむのがちょっと面倒臭い。

学習に関する座談会

 ラーニング・ボックスについて、体験者の方たちに集まっていただき、座談会を開いた。
知的障害児のためのラーニング・ボックス学習法』という本を、すでに小社から出しているが、実際にラーニング・ボックスによる学習を体験された子供の親御さんから聞く話に、ラーニング・ボックスがいかに子供たちの内発的な学習意欲を刺激し学習能力を育てるものであるかということ、また、改めて親の凄さを感ぜずにはいられなかった。
 ラーニング・ボックス学習法というのは、前にもこの欄で書いたとおり、ひとことで言えば、自学自習のシステム。それは、いわゆる知的障害をもつ子供のために横浜児童文化研究所が長い時間をかけ研究開発してきたもので、書名に『知的障害児のための〜』と角書きが付いてはいるが、すべてのひとにとって学習する、学ぶとは何かの根本に迫る内容を有するものであることが、今回の座談会で浮き彫りになったと思う。
 あるお母さんが言われた。「あなたのお子さんは○○の障害があります」と医者から告げられた瞬間、親はどん底に突き落とされたように感じるものです…。いろいろな方法を試み、わが子の成長のために時間とカネをかけ、情報を収集し、藁にもすがる気持ちでやっとラーニング・ボックスに辿り着いた経緯が縷々話された。全国の同じ立場にいる方たちにとって福音になるような本を作りたい。

見えないハチマキ

 梅雨はまだ明けていないのに、日に日に暑さが増し、きのうは関東各地でのきなみ気温三十度を超したところが多かった。暑い。つい口から洩れる。そう言ったからといって何ら状況に変化はもたらされないのに、つい口を突いて出てしまう。
 さて、わたしはこのごろ帽子を被っている。毛の薄い坊主頭を直火焼きから防ぐのに帽子は欠かせない。夏用のハンチング帽も持っているが、オシャレしてパナマ帽。白いのと黒いの。これのいいところは、内側に「すべり」といって、頭に直接触れる部分にハチマキ状の布か革が付いていること。したがって、帽子を被るということ、特にソフト帽やパナマ帽を被るということは、外から見えないハチマキで、きつく頭を縛っているようなものなのだ。これはいい。なぜなら、どんなに暑くても汗がだらだら顔を伝わって零れ落ちることがない。サラリーマンが駅のホームでネクタイをゆるめ、暑い暑いと連呼しながら搾れるぐらいに水分を含んだハンカチでなおも顔の汗を拭く図は、見ているだけでこちらの体感温度が2度は上がる。だから、サラリーマンの皆さんも帽子を被ってみてはどうだろう。ところで、気に入って被っているこのパナマ帽、問題がないわけではない。
 きのうは本当に暑かった。家を出て保土ヶ谷駅まで歩く。横須賀線の電車に乗り次の横浜駅まで。階段を下りて上り、京浜東北線に乗り換え桜木町駅まで。紅葉坂をはぁはぁ言いながら上って会社に着く頃には体全体がまるで沸騰しているかのよう。帽子を脱ぐ。そうすると、それまで「すべり」によって食い止められていた汗が、まるでダムが決壊したかのごとくに一気に零れ、というよりも、流れる。だら〜。ヒュ〜と打ち上げられた花火がドカンと鳴って、その後、四方八方に乱れ散る図にも喩えられようか。ともかく、帽子を脱いだなら間髪入れずに、急ぎ、ハンカチで、頭、ひたい、首のぐるりを360度、高速回転で拭かなければならない。およそオシャレとは程遠い。一見涼しげに見える帽子だが、こんな苦労が潜んでいるとは思いもしなかった。

あいさつ

 きのうはお客さんが三人あった。最初に気付くのはいつもわたし。なぜなら、部屋の一番奥、中央にわたしの机が入口方向に向いて置かれてあり、必然、ドアに嵌めこまれたガラスに映るシルエットが他のだれよりも目に付きやすいからだ。先頭きって「いらっしゃいませ」。すると、机に向かったり、パソコンに向かって仕事をしている者も一斉に立ち上がり、「いらっしゃいませ」。初めていらっしゃるお客さんは、これに驚かれることもあるだろうが、わたしはこれでいいと思っている。
 どこというわけではないが、訪ねていって、「ごめんください」と言っているにも関わらず、だれも顔を上げず、しばらく無言、ようやくだれかがそばにやって来たかと思うと、「どちらさまですか」などと訊かれることが往々にしてあるからだ。あれは嫌なものだ。ばつが悪い。だから、ウチに来るお客さんにそんな思いをさせたくない。いくら仕事に集中しているからといって、「ごめんください」の言葉も耳に入らぬということはない。
 お客さんが帰られるときは、「ありがとうございました」と言って、わたしが見送ることが多い。そうすると、シャチョーがそうしているのに社員が自分の仕事に没頭しているわけにはいかない。というわけで、みな立ち上がって「ありがとうございました」。
 先日いらっしゃったお客さんで、ウチのそういうあいさつの仕方を褒めてくださる方がいらっしゃった。どういう教育をされているのですか、とも。教育はしていませんと答えた。こういうことはやはり、上の者のやり方を見て真似るというのが一番だろう。

ホヤッキー

 編集者の窪木くんがいる。週代わりの小社トップページに名前が出るようになった。「今週はクボキがお送りいたします」。本人は控え目に、漢字でなく片仮名で「クボキ」と表記している。わたしはちゃんと窪木くんと呼んでいるが、いつの頃からか、だれ言うともなくクボッキーと愛称で呼ばれるようになった。
 さて、そのクボッキーこと窪木くんだが、夏らしくバッサリ髪の毛を切ったようで、今週、涼しげな表情で出社した。頭頂部はポヤポヤッと髪が残っているが、周囲はことごとく刈り上げている。みごとだ。聞けば、バリカンでやってもらったそうだ。そうだろうと思った。
 しばらくつくづく見ていた。ふむ。似ている。似ている。なんだ。ふむ。うん。アレだアレ。ホヤだ。好きな大辞林によれば、海鞘(ほや)綱の原索動物の総称。……単体で食用とするマボヤ、群体をなすイタボヤなど多くの種類がある、とある。
 そう思って見ると、窪木くんの顔というか頭全体がますますホヤに見えてきた。もう取り返しがつかない。これから少しずつ髪の毛が伸びホヤらしくなくなっても、あの独特の味と共に刷り込まれた形状の魅惑を消し去ることは無理。ホヤッキー! 美味そうだ。