ピーピング・マシン

 写真家の目はピーピング・マシンだ、と橋本さんは言う。ピープは覗き見る。
 橋本さんは宮城県石巻市出身。石巻はかつて(今も?)全国的に名の知れた港町であり、そこでは出逢いと別れのドラマが日々繰り返されていた。男と女。未だカメラを持たぬ橋本少年は、好奇のうずきをカメラとし、二人が寄り添い暗がりに入っていくのを追いかける。なにが起きるのか。なにをするのか。藪の中であちこち蚊に食われ痒みをこらえながらも一心に、そこで繰り広げられる一部始終を少年は見逃さなかった。今風に言うなら、橋本は見た!
 写真集『北上川』は、ローカルな写真群を収めたものなのに版を重ね三刷まで来ている。石巻と何らか縁のある人々が多く買ってくださった。しかし、それだけではこんなに反響を呼ぶことはなかっただろう。
 写真集の懐かしい光景に触れ、パッと明かりが灯る。薄暗い中でものも言わずに立っているのは子供の自分だと気付く。外だけではない諸々を思い出しながら、そこに好奇の少年の目を感じることで、読者もまた、いよいよ自分の中の幼い魂をよみがえらせ、生き生きと動き回る快感に酔い痴れているのではないかと想像する。世界は総天然色。音を立てて過ぎ去った。

港町

 午前中、今度ウチから『モアイに恋して』を上梓するつきようこさん来社。午後、『野麦峠に立つ経済学』(小社刊)の著者・島岡光一さんが次著『デザインする経済』の打ち合わせのため来社。今年埼玉大学を定年で退官されたが、インド・ケララ州にある美術館に招聘され、かの地の仕事が多くなりそうとのこと。インドといえば多聞君ということで、急遽多聞君も呼び出し、話に加わってもらう。
 写真家の橋本照嵩さん来社。はなれ瞽女(ごぜ)の写真を始め、次の企画のための写真百数十点を持ってきてくれた。ダンボール二箱をすでに預かっているから、選ぶのが大変だ。
 橋本さんはよく春風社は港町だから…、ということを口にする(『新宿港町』という歌があるが、橋本さん、その歌がめっぽう上手い!)。何らかの縁で人が集まり、出逢い、別れていく。そのことを喩えてのことだろう。
 いつだって出逢いはこころおどり、別れは寂しい。こうすればよかった、あの時ああすれば避けられたのにの後悔や反省も成り立つけれど、うがった言い方をすれば、さらにいろいろ目に見える要素、目に見えない要素が加わり、出逢いも別れも人知を超えている。だから手をこまねいて見ているというわけではなく、今日の出逢いと別れを真摯にとらえ、言葉にできることは言葉にしようと思うのだ。港町らしく、風の向きによって汽笛がハッキリと聞こえることだってある。

定期総会

 マンションの定期総会がきのう行なわれた。一番の議題は大規模修繕について。
 当マンションの管理会社が事前に数社に見積りを頼み、ニ社にしぼって(理事会での議論を経た上で)総会にかけた。二社とも修繕に必要な総額は一千万円を超えている。一般的には建ててから十年乃至十五年のあいだに大規模修繕をするところが多いから仕方がないのかなという意見あり、また、修繕積み立て金が二社の提示している額に満たないのにどうする、銀行からカネを借りてまでするのか等、侃侃諤諤。管理会社の話では、そうしているところもあるとか。
 議論が難しくなりそうかと思っていた矢先、住人の一人が、一昨日、知り合いの一級建築士に頼んで二社の見積りと照らし合わせながら建物全体を見てもらったそうだ。その結果、マンションの資産価値を上げるという目的なら別だが、今すぐにやらなければならない工事というのは限られているという意見だったらしい。わたしはその意見を聞きながらハッとした。
 マンションの修繕については昨年の総会から議題に上り、管理会社が数社に見積りを頼んだ。住人もまずそれが順当だと思ったし、管理会社も「はい、わかりました」と当然のごとくであった。管理会社は昨年の総会の意見に基づき数社から見積りを取って理事会を召集。理事会のメンバー(わたしも今年はその一人)は出された見積りを見比べて、これは高いだの、こっちが安いだのと言い合った。理事会といっても、要するにシロウトなのだ。ここに盲点があった。つまり、マンションの修繕をする業者に見積りを頼んだ場合、老朽化の診断も合わせてやってもらうことになる。これぐらい老朽化が進んでいるからこれぐらいの工事、金額としてはこうなります、ということになる。仕事を取りたい業者は、ビジネスとして当然、利益が出るための見積りを出してくる。勘ぐれば、必要のないところまで修繕項目に掲げ金額を計上してくるかもしれない。だから、業者に見積りを頼む前に第三者機関に老朽化の診断をしてもらう必要があったのだ。そんな機関があるのか。ある。建物診断士。国家資格としてちゃんと認定され、それを業とする人がいる。
 管理会社に確認したところ、取り扱っているマンションで、これまで事前に建物診断士を入れて診断してもらった例はないという。結局、総会の結論としては、前例がなくても、適切な建物診断士に依頼し客観的に見て判断してもらい、その資料を踏まえ改めて業者に見積りをお願いするということになった。

はんなり

 桜木町駅で電車を降りようと席を立ったとき、きれいな白髪の女性が立ちあがりざまにハンカチを落とした。女性は気付かず、いま開こうとするドアの前に進んだ。わたしはハンカチを拾って女性に近づき二の腕に少し触れ、「落としたようですよ」と言った。女性ははっきりと「どうもありがとうございます」と言い、照れくさそうに微笑んだ。ドアが開き、わたしのほうが先に電車を降りた。拉致問題でテレビでよく拝見する上品な女性にも似て、わたしはすっかりいい気分になった。関西地区で「はんなり」というのは、こうした場合の形容句でもあるかと思ったりしながら、いつもなら下りエスカレーターに乗るところ、そうはせずに階段を勢いよく下りたのだ。

営業努力

 売上200万部を突破した本がある。すらすら読めておもしろく、はぁ、こういうのがベストセラーになるのかと思った。200万部。みんな買って読んだんだろうなあ。倉庫何個分のスペースを取るんだろう、なんて。そんな感想しか浮かばない。ハリー・ポッターの例もあるから、ウチからベストセラーが出ないとも限らないが、そんなことはあり得ないと思っていたほうがまず間違いない。本は売れません。横から聞こえてくる話はそのことばかり。どの版元も苦戦を強いられている。いい本を作ることが中長期的には営業の武器になるということもあるけれど、支払いが中長期というわけにはいかないから、編集のクオリティーを上げることで問題が解決するわけではない。いい本だと評価されても、それが骨董的価値を帯びてくるようでは困る。

不安と期待

 『新井奥邃著作集』別巻のデータと版下のすべてを印刷所に渡し、編集作業はとりあえず完了。あとは本の完成を待つのみ。来月二十日頃になる予定。
 九巻までP社のOさんが担当してくれていた。回を重ねるたびに、阿吽の呼吸とでもいうのか、つうと言えば、かあ、余計なことをしゃべる必要はなく、ちゃんと仕上がってきた。予定通りの刊行ならば最後までOさん担当でフィニッシュできたのに、新資料の発見やら編集作業の難易度がますます上がったことなどにより、最終巻がことのほか遅れ、その間にOさんは定年でP社を退職された。残念だったが仕方がない。その後をKさんが引き継ぐことになった。
 きのうもKさんから電話があった。Kさんにしてみれば初めてのことであり、全集の最終巻ということで相当プレッシャーがかかっているようなのだ。こう言っては失礼かも分からないが、そのことがありがたい。Oさんが残していったファイルを改めてつぶさに眺め、気になるところがあれば、すぐに電話で連絡をくださる。先輩であるOさんがしてきた仕事の最後を自分が汚すわけにはいかないというこころざしがひしひしと伝わってくる。ほかの本も同様だが、かかわる人の知恵と工夫と苦労、多くの思いが込められて一冊の本ができる。特に、最初の配本からかかわって陰の大きな力になってくれたオペレーターの米山さんにはいくら感謝しても感謝しきれない。漢文、漢文、漢文と、これでもかというぐらいに漢文ばかりが続く巻もあり、大げさでなく、彼女がいなければこの企画は完成することはなかったろう。できあがる前なのに少し気が早いかもしれないが、全集の最後の巻を待つというのはマラソンのゴールを待つようなもの。感慨もひとしおだ。

帽子

 昨年秋ぐらいから帽子を被るようになった。最初は恥ずかしく、街行く人が皆こっちを見ているような気がして過剰に意識したが、寒いときはシャツ1枚多く着ているようなものだし、日差しの強いときは日除けになる。手軽で便利。そうなってみると、被らないでは外へ出られなくなった。
 今年は帽子が流行りだそうで、トレンドに火を点けたのはCA4LAというブランだと聞いた。わたしは、わたしがトレンドに火を点けたとばっかり思っていた(笑)。CA4LAの帽子も持っている。
 ゴールデンウィークに秋田に帰ったとき、父が祖父の帽子を出してきた。パナマ帽。そういえば、百歳で亡くなった祖父は、周りが田んぼだらけの田舎に似合わずオシャレ好きな人で、シャツでもズボンでもこだわりをもっていた。パナマ帽まで持っていたとは。それも三個。被っている姿を見た記憶があるような、無いような。
 わたしが帽子を被るようになった直接のきっかけは、テレビの旅番組で帽子好きの米倉斉加年が、たまたま見つけた帽子店で好ましい帽子を二個見つけ被ったシーンを見、はぁ、帽子もいいかもな、と思ったことだったが、さらに分析してみれば、好きなダニー・ハサウェイがよく帽子を被っていて、とてもかっこよかったことがわたしの中に刷り込まれていたということに気付いた。そこ止まりだと思っていたのに、祖父の帽子好きが遺伝されていたとは思いもよらなかった。