ぜんしゅう違い

 『春風倶楽部』No.12の数が少なくなったとの報告が営業の責任者でもある専務イシバシからあり、No.13を用意することに。問題は特集のテーマ。すぐに決まることもあれば、どうもピンとくるものが浮かばず、考えあぐね、けっこう時間がかかってしまうこともある。テーマ設定はわたしの領分、そのときどきに、この事をぜひこの人に訊いてみたい、どんなふうに考えておられるのだろうということをテーマにする。
 昼食をとりに外へ出ようとエレベーターに乗ったとき、イシバシに「次号『春風倶楽部』のテーマを決めたよ」と言った。
「なににしたんですか?」
「全集の魅力」
「はぁ〜」
「ん…??」
「そうですか…」
「なにがそうですかよ? 気に入らないの」
「いや。書き手が限られてしまうんじゃないかと思って…」
 ここでわたしはピンときた。禅宗の魅力では確かに書き手が限られてしまうだろう。それに、禅宗に対して「の魅力」などとくっ付けたら、禅寺から抗議の電話がありそうな気もする。
「そっちのぜんしゅうじゃなくて。『新井奥邃著作集』も完結することだし、全集を読むことの楽しさ、喜び、編集に関わることの苦労話や魅力について書いてもらったら面白いと思ってさ」
「あ。なるほど。そうですね。そっちのぜんしゅう。わたしはまたあっちのぜんしゅうかと思ったものですから」
 わたしとイシバシの間ではこういうことがよく起きる。付き合いが長いので、最近では、彼女が意味を取り違えた単語を思い浮かべているなということが返事の具合で瞬時に分かるようになった。傑作なのは、わたしが加齢臭について話し始めたとき、彼女が、スパイシーなカレーと取り違えたこと。「いま入った店はパスタの店、カレーなど置いてなかったのに…」というのが彼女の頭に最初に浮かんだ想念だったらしい。

ラーニング・ボックス

 横浜児童文化研究所の立川先生、原所長来社。立川先生はすでに小社から『知的障害児のためのラーニング・ボックス学習法』を上梓しており、この手の専門書としては売れ行きも上々、ほぼ完売に近い。ところがこの本、読者から難しかったとの感想が多いと聞く。
 ラーニング・ボックス学習法とは、ひとことで言ってしまえば、自学自習のシステム。これは、立川、原の両先生を中心とする横浜児童文化研究所の長年の試行錯誤の中から産み出されたもので、実際に見てみれば、理屈はともかく、その素晴らしさの一端は誰でも分かる。普通学級(この言い方は差別的)では歯牙にもかけられなかった子供たちがラーニング・ボックスを用い、生き生きと学習する。知的障害児に接し何をどう教えていいのか、手をこまねいて見ているしかない先生たちは、あの姿を見たら仰天すること必至だろう。『知的障害児のための〜』は、人間が学習するということ、分かるということの本来的な意味を根底から問いかける革命的な知の体系であり、理論書、また実践書なのだ。
 うがった言い方をすれば、革命的な本というのはいつでもそうだ。それを必要とする人は本に齧りついてでも理解しようとする。『知的障害児のための〜』を、読んで分かるところだけ分かり、それを実際に役立てている人もあると聞いた。
 昨日は、教育の根本を問いかけるこの本に至る裾野を広げるための企画について打ち合わせ。知的障害児をもつ親に集まっていただき、わが子がラーニング・ボックスを使い、いかに学習し、どんなふうに変わったのか、実際のところを話してもらおうということになった。また、立川先生には、先生が「反省と後悔の日々」と仰る実践の中で鍛えぬかれた「学び」「分かる」について、わたしがインタビューすることにした。
 この企画、元をただせば『心理学|梅津八三の仕事』が縁だった。

風景論者

 専務イシバシ、営業のMさんと松陰神社前駅ホームで待ち合わせ。保土ヶ谷から松陰神社前まで行くにはいくつかの方法があるが、ネットで調べると、保土ヶ谷-(湘南新宿ライン)-渋谷-(田園都市線)-三軒茶屋-(世田谷線)-松陰神社前、というのがトップに出てきたので、そのルートで行くことにする。乗り換えにかかる時間まで計算してあるのか、遅れることなく乗りたい電車に乗れた。素晴らしい!? 世田谷線は家並みのすぐ横をゆっくり進むから、しばし車窓の景色を眺めながら一人ぶらり旅の気分に浸れる。
 約束の時間の五分前に着いたのだが、すでにイシバシとMさんが行儀よくベンチに並んで座っていた。便利になったものだ。
 初めて東京に出てきた折、上野で大船行きの電車と大宮行きの電車を間違えて乗った。どんどん東京から離れ、何駅かやり過ごした後でやっと間違いに気付き、急いでホームの反対側の電車に乗り換えた。それでも待ち合わせの時間に遅れなかったのは、子供のときから方向音痴で地理に弱く、間違えることがしょっちゅうで、たっぷり余裕をもたせて行動することが自然と身に付いていたからだ。
 いまはクルマを運転することはなくなったが、かつてハンドルを握っていた頃、地図を頼りに目的地に向かうことはなかった。というより、地図を頼りにすることができなかった。地図が悪いわけではない。地図を見ても地理が頭に入ってこないのだ。したがって、必ず妻にナビゲーションを頼むか、それでなければ、一度走ったことのある道を走るようにした。
 わたしは自分のことを風景論者だと嘘ぶいた。地図が役に立たない代わりに風景が役に立つ。ここの景色は見たことがある。この光の感じ。どことなく殺風景な町並み。急な坂道の横の歩道。そこに差す木々の影などなど。機械によるナビゲーションシステムが発達したことにより、風景論者的運転は廃れた。なんて。いや、逆に今こそわたしのような人間が車を運転するにはいいのかもしれない。次は右、次は左と指示してくれたら、ますます周りの風景を楽しみながら運転できるではないか。ただ、よそ見運転で危険が増す。それは問題だ。極めて。風景論者はやはりクルマの運転には適さないということか。

大きい字

 小社ホームページのサーバー移転(完了)、リニューアルを画家・デザイナーの多聞君に依頼している。社歴と共に作った本のアイテムが増えたので、ここらで、人よりも本そのものを紹介しようというのが今度のコンセプトだ。どんなデザインになるのか楽しみ。
 ところでこの「よもやま日記」、字が小さくて読みづらいという声が社の内外から聞こえてきていた。さっそく多聞君にお願いし、字を大きくしてもらう。でか過ぎ、という気がしないでもないが、読み易さの点からすれば、圧倒的に読み易くなった。読んでくださった方からも概ね好評のコメントをいただいている。
 さて、字が大きくなったことで変わったことが他にもある。これぐらいの大きさだと、読み飛ばそうにも、なかなか読み飛ばしづらい。つまり、読んでしまう。字が大きくなったことにより、読んでもらえる可能性も大きくなった(かもしれない)。書き手としてはありがたいことだ。そうすると、わたしも必然、書き飛ばすことができなくなる。これまでも書き飛ばしてきたつもりはないが、字が大きく表示されることにより、それに見合うスピード、読むスピードも変化する。細かい字の時に比べゆっくりとなる。ゆっくり読まれることに堪えられるようなものを書きたい。

ヒディンク・マジック

 いよいよ本日、サッカー・ワールドカップ日本対オーストラリア戦。
 現地での盛り上がりが連日報道され、スポーツキャスターやコメンテイターが得点を予想する。日本チームは練習を公開しているのに、ヒディンク監督率いるオーストラリアチームは報道管制を敷き、どんな練習をしているのか分からない。そこまでする必要があるのかとも思う。
 そのヒディンク監督が、対戦相手の日本チームに対するコメントを求められ、「ブラジルと同じように、クリエイティブなチーム」と評した。対戦チームの監督からクリエイティブなんて褒められたら、こんなに嬉しいことはないけれど、そこは歴戦の名将として知られるヒディンク、本心そう思っているのか、いくらかリップサービスもあるのか、定かではない。が、サッカーのチームを称してクリエイティブと言ったところが面白いと思ったのだ。
 それは、わたしがサッカーをよく知らないからだとは思う。しかし、これまで、たとえば前回のワールドカップでも、どこかのチームを評してクリエイティブという表現がされたことがあったろうか。だから、とても新鮮に響いた。
 ほかのスポーツ同様、サッカーも選手がやるもので監督がプレーするわけではない。しかし、監督が第一と考え身に染みていることは、いろいろな場面で選手たちに感染していくことは間違いないだろう。ヒディンク監督が日本チームを「ブラジルと同じようにクリエイティブ」と評したということは、実は、オーストラリアをクリエイティブなチームにすべく、これまで育ててきたということを逆に証しするものではないか。ヒディンク・マジックというようなことがあるとすれば、そのあたりに秘密が隠されているようだ。
 日本に勝ってほしいのはもちろんだけれど、どんな戦いぶりになるのか、楽しみだ。

配達記録

「瀬戸ヶ谷の三浦と申します。郵便物お預かりのお知らせというのをいただいたのですが…」
「そうですか。何日になっていますか。はい。はい。そうすると、保管期間は6月14日までですね。お問い合わせ番号をお願いします。5781*******ですね。差出人はどちら様ですか。はい。配達担当者は誰になっていますか。はい。分かりました。では、いつの配達をご希望ですか」
「日中、出掛けていますので、会社のほうへ回送していただけるとありがたのですが」
「はい。結構ですよ。住所を郵便番号からお願いします」。指示に従い、郵便番号、住所、電話番号、社名を告げた。すると、電話の最初から慣れた口調でてきぱきと話してきた、声の感じからしておそらく中年の女性が、社名を告げたとたん、ほんの一瞬だが間を置き、「いいお名前ですねぇ」と言った。わたしはとっさに「あ、ありがとうございます」
 女性は、その後、すぐに丁寧ながらもビジネスライクな口調に戻り、区が違うので配達が二、三日かかると言った。土、日は会社が休みだから月曜日に配達してもらいたい旨を告げると了解してくれ、最後に、「お問い合わせ、ありがとうございました」
 女性の話しぶりは、決していやな感じを与えず(むしろ好ましい。声質のせいか)、とても流暢で、一日何十件、何百件の問い合わせがあるだろうことを予想させた。必要な事項、同じことを同じように訊き返す。そういう中での、「いいお名前ですねぇ」だったから、ちょっとどぎまぎし、わたしの声は、ほんの少しだが震えたかもしれない。
 社名を褒められたことは、もちろんうれしかったが、それ以上に、極めてビジネスライクな会話の中に、たったひとことでも自分の感想を織り交ぜた彼女がとても素敵に思えた。電話の最初に、受け付け係の**ですと名乗られたのに、受話器を置いたとき、まさかそんな印象で終わるとは予想だにしなかったから、彼女の名前を覚えようともしなかった。それに、この先、会うこともないだろう。それでも朝から気分が良かったことには変わりない。

雨上がる

 昨日の昼のこと、専務イシバシが近頃刊行された書籍を取次に持ち込み登録する日で出掛けていたため、武家屋敷と二人で昼食を食べに会社を出た。この頃テレビのニュースを見ていないので、関東が梅雨に入ったのかどうか確認していない(おそらく入ったのだろう)けれど、梅雨らしい雨が降っていたから傘を差して野毛坂方面へ歩いていった。
 よく行く中華屋へ入り、D定食(税込600円)とF定食(税込800円)を頼み、仲良く分けていただいた。こうすると二種類の料理を楽しめることになる。三人四人で行く時も同じ方式を取ることにしている。それができるのは、この店の定食の種類がお手頃価格で種類が豊富なことによる。
 デザートの杏仁豆腐を食べ、さて腹も満タン、勘定を済ませ外へ出たら雨が上がっていた。それだけでなく、日差しまで差してポカポカと暖かい。というより暑いくらい。
 武家屋敷と二人、腹ごなしの会話を楽しみながら野毛坂をゆっくりと上っていった。ふと見ると、武家屋敷が傘を差している。おや、と思った。雨はとっくに上がっているのにどうして? ははぁ、日差しが強いから今度は日傘として差しているのか。そう思ったから武家屋敷に訊いてみた。「日傘として差しているの?」。すると、意外が答えが返ってきた。「いいえ。濡れた傘が少しは乾くかと思って」「……」
 なるほどねえ。社に戻りベランダに傘を広げて乾かさなくても、歩きながら傘をお日様に当てることで乾いてしまうか。それに、いつまた雨が降ってくるかも知れない。とてもいい考えに思えたから、わたしもさっそく真似して会社までの残りの道のりを傘を差して歩いた。行き交う人が少なかったから良かった。なぜなら、武家屋敷の傘は女性らしく、それなりにカラフルで、日傘として差しているのだなと立派に端から見える。それに対し、わたしのはいかにもこうもり傘だ。取っ手や柄まで黒い。この暑いのにこうもり傘とは…。
 ようやく会社にたどり着き、傘を閉じた。まだ完全に乾いてはいなかったが、すぼめた傘をそのまま傘立てに突っ込んだ。