すごいテーマを掲げたが、実はこういうタイトルの歌がある。好きな忌野清志郎の『メンフィス』に入っている。歌詞は、以下のとおり。
お前が生まれる前から 俺は俺だぜ わるかったな
そうだぜ俺は年寄り 世話がやけるぜ すまなかったな Hey Hey
若い女を紹介してくれ なァいいだろ
俺の腰をもんで欲しいのさ
いたわってくれ面倒見てくれ 気を遣ってくれ すまねえな
忘れんなよこの年寄り 頑固者だぜ わかったな Hey Hey
若い女じゃもの足りないのさ OH そうだな
体は良くても わびさび知らねえ
他の女を紹介してくれ なァいいだろ
風呂で背中を流して欲しいぜ
高齢化社会がどんな社会でも 政府の奴らがやってる事じゃ
どうせ俺とは気が合わないのさ
俺は口うるさいぜ そうだ 年寄りだからな
(後略)
Hey Heyってアンタ。1992年に出たアルバムだから、もう10年以上前になる。CDが出た当時、ただ腹を抱え爆笑しながら聴いたものだが、年々身につまされるようになってきた。ふむ〜、なかなか深い歌詞、と思えるようになった。歌の境涯に近づいたということなのだ老。「若い女が欲しい」と言ったり「若い女じゃもの足りない」と言ったり矛盾だらけ。だってだって「俺は年寄り」なんだからな、みたいな…。清志郎は1951年生まれだから41歳のときにこれを作ったことになる。やはり天才なのだろう。
早朝、テレビを付けたら杏林大学の金田一秀穂(きんだいち・ひでほ)教授が出ていた。京助を祖父に、春彦を父にもつ国語学者一家の三代目。
なんとなく見ていたのだが、「今の若者は日本語も知らぬ」と言って嘆く大人が日本語を間違って使っているのに出くわすことがよくあるというから、これは聞き捨てならぬと目をひらく。
教授いわく、「さわりを聞いただけで判断することは…」みたいな言い方をする人がいて、その人は「話の最初だけを聞いて」の意味で使っているようなのだが、それは大きな間違いである。「触り」とは、もともと浄瑠璃用語で、話の中心となる部分、聞かせどころの意味であり、演劇・映画などの名場面、見どころを指すという。へ〜、知らなかったぁ〜! 危ねぇ危ねぇ。
教授またいわく、何かの席の挨拶で「くじけぬこころをもち流れに棹さして生きていってほしい」みたいなことをおっしゃる方がいるが、言わんとする気持ちは分かるけれど、間違っている。「棹さす」というのは「抵抗する」の意ではなく「時勢・流行にうまく乗る」の意。真逆ではないか! 念のため『大辞林』で調べてみたら確かにそう書いてある。危ねぇ危ねぇ。
ふむ。ほかにもけっこうありそうだ。謙虚に辞書を引くしかないな。
梅雨どきですが、この季節の朝もなかなかいい。みずみずしい(そりゃ梅雨だもの)というかなんというか、なんかこう、細胞の一個一個に適度な水分が補給され、みたいな…。
むかし秋田の実家で馬を飼っていたとき、朝もはよから父は草刈りに出かけ、わたしたちが起き出す頃には帰ってきて、たっぷり水分を含んだ草をドサリと馬小屋の前に下ろしたものだ。もやもやと蒸気が昇る。それを馬が食む。こめかみから頬にかけての血管を浮き立たせ、見ているこっちまで顎が疲れそうなぐらいの勢いで上顎と下顎を臼みたいに擦り合せるのだ。草食動物が目の前にいた。わたしの家の馬だ。馬小屋からは延々蒸気が立ち昇っていた。そういう風景が不意によみがえる。
首から肩にかけての線、圧倒的な尻と腹、無駄のない筋肉、まるでいのちの爆発に触れるよう、息苦しいぐらいの戦慄が走った。
「わすれものねがぁ〜?」「いってきまぁ〜す!」
薄ボンヤリとでなくハッキリ、クッキリと。会社を起こして六年目、お金のことも含めて全体を見ることは難しくもあるが、とても愉快なことでもある。特に若い人が個性を発揮してグングン力を付けていくのを見るのは楽しい。
若い人がさらに若い人(いつの間にやら「若い人」「若い人」って言うようになってるなぁ)に教えている言葉を耳にし、ふむー、なるほどねぇ、と思って聞くことがある。わたしが数年前に伝えたことを、そのままでなく、その人の個性で消化し、自分なりの言葉で教えている。そういう場面に出くわすと無性にうれしい。
伝えたそのままをオウムみたいに伝言しているだけなら、言葉のリレーゲームを見るようで、そんなにうれしくはないだろう。そのままでないということは、大げさにいえば、理解され、消化され、進化発展を遂げていることの証しと思うからうれしくなる。
ん! らっかんてき?
スティービー・ワンダーの新譜が遅れている。そんなに熱心に待っているわけではないわたしがヤキモキしているのだから、熱心に待っているファンの気持ちはいかばかりだろう。
『インナーヴィジョンズ』『ファーストフィナーレ』『キーオブライフ』(このラインナップ! 無敵!)のヒット作を立て続けに出した頃がやはりピークなんだろうけど、その後もずっと好きで聴いている。あのシャウトする声に武者震いしたものだ。わけもなく、よしがんばろう! という気になった。テレビで初めて見たとき、まばたきするのも惜しいぐらいな気合で見ていたっけ。今は亡き祖母がテレビのスティービーを見て「がんばるふと(秋田弁で「ひと」のこと)だねぇ〜」と言ったのもなつかしい。
「アナザー・スター」あれ、弱いのよ。いや、曲が弱いのじゃなく、あれを聴いたときのおいらのことで。『キーオブライフ』に入っているのだが、聴くたび、井戸の底の方からグワッと感動が湧いてきて涙したものだ。今はさすがにそんなことはない。でも、井戸の底の底のほうで感動の鈴(ク〜ッ! 臭)が小さく震えるのは相変わらず。新作『A Time 2 Love』、かの名曲「スーパースティション(迷信)」風のものも入っているというから楽しみ。ヤキモキしながら待つことにしよう。
NHKでおもしろい番組をやっていた。変わった趣味(本人はそんなふうには思っていないはず)の人を集め紹介する番組で、ある女性は、バスが好きで好きでたまらなく(それも特定の線型のが好きとのことだったが、忘れた)とうとう中古の○○線型のバスを買って自家用車として使っているとか。消防自動車やはしご車が好きで本物を購入した中年男性もいた。輪ゴム鉄砲づくりの趣味が嵩じて、日本輪ゴム鉄砲学会みたいなのをつくり、今では会員が千人を超しているとか。男の人でシャワーキャップ収集が趣味(?!)の人も。紙相撲は横浜が重要拠点らしい。横浜国技館というのがあって、国技館のミニチュア版が六畳の部屋の中にある。呼び出しや行司までちゃんといて、それなりに厳格なルールがあるらしかった。
最初は「世の中には変わった人がいるなぁ〜」と岡目八目で観ていたのだが、なんだか、だんだん羨ましくなってきた。
出演者の皆さんは、三十代から五十代が多そうで、おそらく周りから「いい歳をして何をやってるの」と言われているのではないだろうか。いや、きっと言われている。でも、たとえば番組中、奥さんにナイショで三十万円ではしご車を買い、消防士の格好をしてレバーを引き、はしごがスルスルと空に向かって伸びていく姿を見て「いいもんですねぇ〜。いいもんですねぇ〜」と繰り返す晴れやかなおじさんを見てなかなか笑えないと思った。奥さんは困ったものだと嘆くかもしれないが、他人に迷惑を掛けているわけではない。
「いい歳をして」はふつう揶揄していう言葉だが、「いい」のアクセントを変えるとニュアンスも変わる。
先日、寝転がって何気なくテレビを見ていたら、洋画家の小出楢重(こいで・ならしげ)が出てきたので、居ずまいを正して番組に見入った。テレビ東京「美の巨人たち」。画家の人生を一般の人にも分かりやすく興味深く取り上げてくれるので好きな番組だ。それに楢重の「Nの家族」が取り上げられていたのだ。Nは楢重。
大阪生まれ大阪育ち、身長一五六センチ、体重五十キロに満たない小男(みずから骨人と称す)ながら「東の劉生、西の楢重」と呼ばれるようになった孤高の天才画家。特に彼の描く「支那寝台の女」など裸婦像が素晴らしく、番組では、日本女性の裸の美しさを描いたものとしてNo.1と称えていた。楢重に卑屈は似合わない。数年前、横浜そごうで「小出楢重展」があったが、そのとき「支那寝台の女」を初めて目の当たりにし、息を呑んだ。西洋の脚が長いばかりのヌードなど目じゃないと思った。
番組に我らが小出龍太郎先生が出てきたので、ググッとさらにテレビに寄る。先生の背中には小社刊の本がズラリ。『文学にひそむ十字架』『小出楢重―光の憂鬱』『ちょっと、教養―20代女性のための芸術案内』アハハハハ… 先生、やるぅ〜♪ うれしいな。ありがたし!!