そういう気分

 言うほどの意見、あるか、と、自分に問うてみる。
 気分。有頂天になったり落ちこんだりさ。記憶に結びついているような。刻印されていて。
 助詞が見つからず、切れ切れの単語しか浮かばない。自分のことでいっぱいになる。溢れる。なにか立派な思いつきでも浮かべばいいのだが、あまり、そういうことはない。嘘! ほとんど。いや、全然。
 ええ、きのうは、いつも通りしっかり仕事をしました。電話で話したり校正したり。Nさんが送ってくれた詩も読んだ。「蝙蝠」はよかった。それで、そういうことをいつも書いているし、日記だからそうしているのだけれど、たまに、こういう気分になることがある。「こういう」ってどういう? 厄介。
 それで、切れ切れな、電気がプチプチ、ショートしている時のほうがぼくの本来のような気がし、ずっと幼い頃の自分に触れていくような気もし、鉛筆の先をさっきから随分長い時間、見ていたようなのだ。
 こういうことは書いても仕方ない気もするけど、何を書いても上滑りだから、今日はこれを書いた。なんか、悪いことでもしたような気分。
                          飲み過ぎ? ただの。ふむー。

田中正造・新井奥邃

 熊本大学の小松裕さんから年賀状をいただき、そのなかに、岩波の『世界』2月号で新井について触れたと記されていたので、さっそく買って読む。「現在に生きる田中正造」がそのタイトル。
 田中正造が谷中村に入って100年目の昨2004年、岩波文庫版『田中正造文集』第1巻が出たが、小松さんはその編集者の一人。
 『世界』では、この期にあたり、70年代以降現在までの田中正造研究について概観し、その意義と今後の展望に触れている。最近の研究動向を説明するくだりで『新井奥邃著作集』について「晩年の田中正造と深い精神的交流を行ない、相互に認め合い、思想的影響を及ぼし合った新井奥邃の思想の全貌が、この著作集刊行によって明らかにされれば、田中正造研究にも大きな貢献をなすことは間違いない」と、最大級の誉め言葉で言及してくれている。有難し!
 また『著作集』のことだけでなく、田中正造研究を光源として見えてくる社会及び歴史像を鑑みる時、小社の営みが客観的に位置付けされたようで嬉しく、さっそくコピーをとり「必読!」と大書し全員に配った。やはり怒涛の年!

「義経」始まる

 午後8時直前、トイレに立った。テレビのある部屋に戻りスイッチを入れたらNHK大河ドラマ「義経」が既に始まっていた。自分の行動が悔やまれた。身辺スッキリした状態で(!?)と思ったのが裏目に出て、何を措いてもまず見たかったタイトルバックを見逃してしまったではないか!
 が、そうではなかった。
 確かにスイッチを入れるのが数秒遅れ、一ノ谷の丘に並ぶ馬上の兵たちのシーンが始まっていた。義経の掛け声のもと懸崖を一気に駆け下り、火の手が上がって血で血を洗う合戦の修羅場と化す。かつて身内であった者たちがなぜ敵味方に分かれ争わなければならないのか、白石加代子のナレーションで25年前にさかのぼり、物語が始まる、その幕開けだったのだ。巧い!
 装丁につかった白馬はこれか。上空から撮られた白馬はやがて森の中へ入り桜吹雪のなかを正面に向かい疾駆してくる。これが本の表紙だ。よーし、OK! 黛さんの声を真似てテレビ画面に向かって叫ぶ。役者たちが次々画面で紹介され、最後に「演出 黛りんたろう」の名前が出たら、それだけでなんだかうるうるしてしまう。
 第一回「運命の子」、平安朝は様式美の世界というだけあって、どのシーンもピシリと決まり美しい。場面ごとにOKを出した黛さんの声が聞こえてきそうだ。役者でいえば、常盤役の稲森いずみさんの美しさは格別で、都一番の美女とうたわれた常盤に相応しい。都落ちする義朝から「子らを頼む」と託されながら、敵の大将にすがるしかなかった常盤に清盛は家屋敷をあてがい、やがて常盤のもとを訪ねる。会見が終り立ち上がるや、清盛は、「夜、お伺いしてもよいか」と常盤に問う。「お待ちしておりましょう」と常盤。夜になり、常盤は一人部屋で待つ。懐剣を取り出し自分の胸元に当てる。と、さっと刀を返し長い黒髪をバッサリ切り落とす。死から生への転換の場面。なんとも残酷で美しい。
 清盛役の渡哲也の表情に目を見張る。顔の左半分と右半分であまりに印象が異なっていたから。キャメラはそれを意識してか、しばらく正面から貼り付くように清盛を映し出す。感情に変化がない限りキャメラは固定で撮るという黛さんの言葉を思い出した。
 また、清盛の妻・時子役の松坂慶子の演技と存在感に圧倒される。例えば「蒲田行進曲」の小夏役の松坂慶子ではない。男を食ったようなとぼけたセリフ回しでありながら、夫・清盛のこころの深くに触れていくような毒のある言葉だ。この関係もこれから目が離せない。
 演出家・黛りんたろうの腕の冴えを存分に見せられた第一回「運命の子」であったが、そもそも稀代の演出家・黛りんたろうをわたしに紹介してくださったのがいちだパトラさんで、彼女がいなければ黛さんと知り合うこともなければ、まして、黛さんの手になる本の出版もあり得なかった。
 黛さんのお父上・敏郎さんにまつわる思い出から説き起こし、りんたろうさんとの出会いがご自身のHPで興味深く綴られており、出会いの不思議さに心打たれた。年末惜しくも亡くなられたご尊父の位牌を傍に置き「義経」をご覧になったというエピソードには言葉もない。もう少し本が早く出来ていればと悔やまれる。
 かくなる上は、時間の遅れを取り戻して余りある本に仕上げるしかない。いましばらく!

全身写真家

 午後出社したら、編集長武家屋敷ノブコが助手となり、すでに暗幕が張られ、部屋が写真スタジオと化していた。
 写真家・橋本照嵩は常に完璧を期す。腰をぐっと落とし、足裏を床にペタリと貼り付かせるようにして立つ姿は独特で、32点の葉画作品の撮影に結局丸々8時間を要す。かつて膨大な韓国李朝民画を撮影したこともある橋本さんは、作品の質感まで写し取る。操作される光のなかでシャッターを切る音だけが静かに鳴り響く。呼吸するのも憚られるほどの緊張感だ。
 今回は徹夜にはならなかったが、以前、撮影に同行し岡山に行った折、寝る間も惜しんで撮影しているというのに元気のオーラが漲るようで、この人は全身写真家なのだと思った。東日本テレビ開局30周年記念特別企画、北上川をリヤカーで撮影行脚する橋本さんの90分ドキュメンタリー番組は4月放送とのこと。ピンコピンコピンコピンコのあの独特の口三味線瞽女歌も番組の中で披露されるとか。♪向こうに見えるお山はなーに♪ か。
 子どもの頃、祖父が牽くリヤカーによく乗せられたそうだ。だから、自分の目線はリヤカー目線なのだと。リヤカーに揺られながら見た驚きの世界と震えが写真家橋本をつくった。

地鶏

 飯島耕一短篇小説傑作選『ヨコハマ ヨコスカ 幕末 パリ』の装丁用にと頼んだ写真を携え、フォトジャーナリストの佐藤文則氏来社。夕陽に染まる埠頭に遠く佇む男の背中をとらえたその写真は、孤独と甘美と未来を指向し、雑音を廃したキーンという澄んだ音が聞こえてくるようだ。聞けば氏は、アメリカに20年住んでいたとのことで、9.11の後、日本に戻ってきた。昨年10月に出た飯島さんの傑作詩集『アメリカ』の表紙カバーと口絵につかわれた写真も佐藤氏の手になるもの。
 これは素晴らしい本になるとの予感!
 夕刻、前の仕事が伸びたとかで、2時間遅れで旧友にして写真家の橋本照嵩氏来社。平沢豊写真展‘OTHER VOICES’の時に宗教学者の中沢新一氏と話している写真を貰う。中沢氏に身振りを交え熱弁をふるう姿が我ながら可笑しい。
 撮影の仕事で来てもらったのだが、遅いし、翌日(すなわち今日)改めて、ということにし、急遽何度めかの新年会を開くことに。
 橋本さんを見ていると、つくづく地鶏っぽいなあと思うのだ。彼がいると、体の底がなんだか沸き立ってくる。すなわち、コケコッコーは都会のオノマトペ。地鶏の鳴き声を片仮名表記するなら、オエオッオオオオオオオオオッ!!! といったところか。元気が出る。だから、思わず、オエオッオオオオオオオオオッ!!!
 ギョロ眼をグルリと回し、口をすぼめてうひょひょひょひょひょ…と笑うのなども、妖怪っぽくって、いいんだな。

M君

 わたしもマリリン・モンローもMだが、そうではなくて…。
 大学時代の友人で政府系金融機関に勤めているM君に電話。現在彼は新潟県長岡支店長だ。年賀状から、今回の地震後の対応に追われ、とても忙しくしている様子がひしひしと伝わってきたからだ。
 短い時間だったが、M君の溢れる思いが電話口から聞こえてきた。なかでも、「都会で会社経営するのと地方のそれでは意味あいが違う」の言葉に、彼の万感の思いが篭められていると感じた。
 M君はとにかく優秀な男で、大学卒業の時、彼から就職先を聞いて、わたしは正直なところ「なにソレ?」という感じを持った。いまなら、自分で会社を始め、M君の所属する金融機関の世話にもなっているから、自分の体験からその有難味がわかる。しかし、学生の頃、金融機関なら日本銀行じゃねーかぐらいの単純脳足りんな頭のわたしには、父親が商売をしていてその苦労を肌身で知っているM君の気概がわからなかった。
 今回の天災に際しM君が、かの地の支店長であることは、いわば彼にとっての天命であったかと思うのだ。
 ここに詳しく書くことは出来ないが、かつてわたしは、勤め先がらみで民間の銀行とのトラブルに巻き込まれ、困ったことがあった。その時助けてくれたのがM君だ。
 彼は、わたしのために自分の勤め先を一日休んで(!)当の銀行に駆けつけてくれた。それも、肩書きなど一切言わず、わたしの友人としてそこにいることを宣言し、わたしなど見たってさっぱり解らぬ書類に目を通し、適切な処理をしてくれた。相手の銀行マンは眼を丸くしていた。問題が解決し、帰りがけ、近くのレストランに入り一緒にビールを飲んだ。
 「M君、きみは学生のときから堅実だったね。学食でも、欲望に弱いぼくが合計400円を超すような小皿をトレーに並べても、きみは学生の分を守り贅沢をせず、絶対300円以上にならぬようにしていた。好きな煙草はチェリーだったね」
 ニコニコ笑いながら黙ってわたしの話を聞いていたM君が、言下に、
 「ぼくが本当に堅実なら、君とは付き合っていないよ」
 確かに。仰る通り。あはははは…(涙)
 春風社立ち上げの時からしばらく会社のいろいろな数字もM君に診てもらった。
 ある時、秋田に帰ったら、M君から父宛てに手紙が届いていたことを知らされた。大事にしまっておいた手紙を父に見せられ、涙が溢れた。会社を立ち上げた息子を心配しているだろうとの配慮から、わたしに内緒で父に手紙を書いてくれていた。有難かった。
 「桜木町に移ってからまだ一度も訪ねていないので、今年は必ず寄らせてもらうよ。電話ありがとう」
 健康にくれぐれも留意するように伝え、電話を切った。

ホーミタイ

 年末、サザンオールスターズの新曲が街から流れてきて、お、耳に残る覚えやすい曲だなと思っていたら、だんだんと耳から離れなくなった。昨年フジテレビで放映された『大奥 第一章』の主題歌とかで「愛と欲望の日々」がそのタイトル。
 ドラマのほうは見ていないので何とも言えないが、歌は、メロディーはノリが良くても、歌詞のほうは桑田さんらしくちょっと退廃的でちょっとエッチ。「東京」もそうだったが、最近の桑田さんの歌詞は、地球外から人間の蠢きを慈しんで捉えているような切なさが感じられる。
 一番の歌詞は、Going up to “狸穴天国”で始まる。桑田さんはこれを「まみあなパラダイス」と読ませている。耳だけに頼るなら、ゴーイナプタまみあなパーラダイとしか聞こえない。「まみ」を『大辞林』で引くと、「アナグマの異名。また、タヌキ。」と出ている。狸穴=まみあな、という語をつかんだ時に、この歌の歌詞もメロディーも大きくは世界も決定付けられたのではないだろうか。
 “ホーミタイ”はサザンの歌にはよく登場するフレーズで、普通なら、Hold me tight の意味を当て、そう発音している。ところが「愛と欲望の日々」では、Hold me tight ではなく「阿呆みたい」。
 それなら「阿呆」の「阿」はどうなるのかといえば、これが巧く出来ている。この箇所の歌詞一行を丸まる引用すると、「嗚呼 愚痴など吐いたら阿呆みたい」である。「吐いたら」の「ら」がraで、「阿呆」の「阿」と同じ a音でつながる。だから、「阿呆みたい」もホーミタイでいいのだ。巧い! さすが! こういう工夫が独特のリズムとノリのよさを生むのだろう。
 でも、ほんとこの世はホーミタイ。Hold me tight も阿呆みたいも。