青春は青春を

 

ゲーテさんが晩年、60歳も年下の少女に恋をし求婚し断られ
(さもありなん)失恋したということは、
なにによってか忘れたけど、
どこかでインプットされ、話としては知っていました。
ただいま
ビルショフスキさんの『ゲーテ その生涯と作品』を読んでいて、
まさにそのエピソードについて記された箇所にさしかかったのですが、
ビルショフスキさんのコメントがおもしろく、
やがて悲しき具合であります。

 

青春は青春を要求する。
この老人がどれほどあがめられ、どれほど精神豊かで、どれほど敬愛に値する
としても、
愛する女性のなかに自分のすべてを見、彼女と一つに溶け合い、
一緒になってはしゃいだり、嘆息したり、悩んだり、
楽しんだりしながら、
同じ鼓動で人生を生き抜いていってくれる無名の純朴で愚鈍な青年
には及ばないのである。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]『ゲーテ その生涯と作品』
岩波書店、1996年、p.1031)

 

そのとおりでしょうね。ゲーテさん、ふかく傷ついたようですが、
そういうところもふくめ、ゲーテさんはおもしろい。
恋話ではありませんが、
ゲーテさん、
オーストリアの宰相メッテルニヒ侯爵にも会っているんですね。
知らかなった!

 

・波に浮き波に揺られてかいつぶり  野衾

 

友とあるく

 

先週土曜日、気が置けない友人六人で鎌倉を散策。
当初、建長寺から天園コースをあるく予定だったのですが、
雨に降られたので、急遽予定を変更し、
建長寺から切通しを通り、鶴岡八幡宮、さらに報国寺へ。
もどってこんどは鏑木清方記念美術館。
「秋の夜」の静謐よ。
こおろぎかな。
雨は降ったり止んだりで。
とちゅう昼食と、
ぶらり立ち寄ったところで、そうとう早めの晩餐を。
道々、だれからともなく、たのしいなぁ、
たのしいなぁの声が漏れる。
ほんとうに。
新型コロナのことがあって、いろいろ感じ、考えさせられたけど、
友と会うことが、こんなにも楽しく、
元気と生きる勇気がふつふつ湧いてくるものかを、
あらためて訓えられ、
実感した。
笑顔がかがやく。
世に『幸福論』というものがあり、
なるほどと感じ入ることもあるけれど、
実感として味わう友といる時間にとうてい及ばない。
内から光が満ちてくる。
いくら本を読んでも、
真理を探究しても、
これ以上のことはない気もする。
どの本を読み、どの本を読まなくても、
超えてすすむ必要などない。
ことほど左様に、
友と会うことは、何をしゃべっても好く、
しゃべらなくてもそれもまた好く、
ほんとうに、
年齢や職業に関係なく、
これがよろこびとたのしさの山頂と知った一日でした。

 

・振り向かず鬼灯鳴らし帰りけり  野衾

 

カミュさんとキリスト教

 

食わずぎらい、というほどでなくても、なんとなく通りすぎてきた、
というものがあります。
『異邦人』『ペスト』のカミュさんは、
わたしにとりましてそういう人。
殺人を犯した人がその理由を問われ、太陽がまぶしかったから、
と答えた、
なんてことを、
じぶんで読まずに、人づてに聞いて、
カッコつけすぎみたいに感じ、
理由もなく人を斬る机龍之介のほうがカッコいいではないか、
と思ってきた。
こんかい『異邦人』を読み、
そうか、
たしかに「太陽がまぶしい」ことが汗と光の反射をさそい出し、
そう言うしかないことを知り、
やはり、
うわさを鵜呑みにしてはならず、
じぶんで読んでみないと分からないものであることを、
改めて思い知らされた。
なのでひきつづき『ペスト』を。
ふたつを読んで感じたのは、ずいぶんキリスト教がベースにあるな、
ということ。
そこでカミュさんが学位論文として書いたという
「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」を読んでみた。
圧倒された。

 

神は異教徒に徳を、もしわれわれがそれを欠く場合持つようにはげまし、
またすでに持っているならば
自尊心をくじくためあたえたのである。
キリスト教において、
ギリシア的意味での徳がこれほどきびしく、
かつひんぱんな試練にかけられたためしはない。
そればかりではなく、
そうした自然の徳も人間が自慢するとき、悪徳に転化するのである。
傲慢は悪魔の罪である。
われわれの唯一の正当な目標は、
そうではなく神である。
そして神が恩寵によってあたえる賜物は、
常に神の寛大さの結果である。
恩寵は無償である。
だから善行によって恩寵を獲得できると考えている人々は、
ものごとを逆にとっている。
恩寵に価するということが可能なら、
恩寵は無償ではないだろう。
いや、
それよりさらに一歩を進めなければならない。
神を信ずることが、すでに恩寵をこうむることである。
「信仰」は「恩寵」のはじまりである。
(カミュ[著]滝田文彦[訳]『カミュ全集 1』新潮社、1972年、p.85)

 

学位論文で取り上げている主な人物は、
プロティノスさんとアウグスティヌスさん。
ふたりともアフリカ北方の出身。
しかしてカミュさんも、アフリカはアルジェリアの生まれ。
お三方とも、
地中海の海と光をよく知っていたでありましょう。
そういうことをつらつら想像していると、
カミュさんの心性がすこし分かってくるような気もします。
ところで、
『異邦人』の、とくに後半の空気感は、
新約聖書に記されている、
ゴルゴタの丘へ向かうイエス・キリストにまつわる人間がつくり出す空気感
と実に似ていると感じた。

 

・人生に練られ知り初む秋の声  野衾

 

恩師のひとこと

 

大学では、日本経済史のゼミに所属していました。
恩師は、嶋田隆先生。
日本の農村共同体が、商品経済、とりわけ貨幣経済に触れ、
どのように解体していったか
を実証的に研究したグループのお一人でした。
含羞をふくんだにこやかな笑顔が忘れられません。
嶋田先生があるとき
(どういうときだったか、どうしても思い出せません)
「ゲーテのヴィルヘルム・マイスターなんかを読むと…」
とおっしゃった。
どういう文脈だったか、
ずっと気になっていました。
いまビルショフスキさんの本を読んでいて、
かかえてきた疑問へのヒントがあると感じられる箇所に目がとまりました。

 

ナマケモノに関する論文では、
もともと海で生きるように定められた巨大生物が、
生活条件の変化にともない、
内的素質と変更しがたい外界とのあいだに不均衡をきたすほど退化したもの
だ、
という大胆な仮説を立てている。
最後に詩的証言もないわけではない。
『ファウスト』第二部のホムンクルスの証言がそれで、
彼は人間を目指して上り、
それにたどり着くまでのあいだ、
大海に身を投じ、
万物に命を与える水のなかで有機的自然の発達を追体験することになる。

 

そうやって幾千もの規範に従い、
幾百、幾千もの形に変化しつつ動いているが、
いや人間になるまでには、まだまだ時間がかかる。

 

これらの発言はすべて一八二〇年以後のものである。
それはゲーテの生涯の最後まで続いている。
これらの発言には観念的な考察が併存し、
統一性と多様性の活きいきとした絡み合いが共存しており、
それが時間的発達の継起関係に移行しようとする傾向を示している
のは見まがうべくもない。
いや、
これらの発言のいたるところに、
ほかでは厳しく禁じている「なぜ」、「どこから」の問い
も大胆に発せられている。
これは時間的進化を問うための控え目な出発点
である。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]
『ゲーテ その生涯と作品』岩波書店、1996年、pp.987-988)

 

わたしが嶋田先生のゼミをえらんだ理由の一つは、
現在わたしたちが意識し感じている「わたし」という観念が、
歴史的に形成されてきたもので、
それは、
共同体の変化とどうやら表裏一体のものであるらしい、
というのがあったから。
その興味と、引用したビルショフスキさんの記述が重なります。
「生活条件の変化」「人間になる」「時間的発達」
「継起関係」「時間的進化」
このあたりに、
形成された「わたし」の意識が反応します。

 

・通路往くワゴン静かに窓は秋  野衾

 

永遠をおもう

 

秋田に帰省となると、
このごろは、だいたい弟が最寄りの駅まで迎えに来てくれます。
送り迎えだけでなく、
事前にいろいろと調べ、秋田、山形の景勝地に案内してくれます。
秋田県にかほ市の元滝伏流水。
これまで知らずに来ました。
鳥海山に降った雨や雪が地下にもぐり伏流水となる。
それが湧き出し滝となって元滝川へ落ちる。
秋田にこんな土地があったのかと、しずかな感動をおぼえました。
流れる水はあくまで澄み、吸い込まれそうになります。

 

ギリシア人が粘土をこねて
種々の形をこしらえて
わが手に成った息子を見ては
ますますうっとりするもいい。
しかしわれらの喜びは
ユーフラテスに手足を浸し
流れる元素に身をまかせ
かなたこなたへ漂い行くこと。

 

これは狭い古典主義の克服を意味する。
むろん古典主義といえども個人的なもののなかに永遠のものを求めた
のだが、
やはりそれは
個人的な次元で形成されたものしか承認しなかった
からである。
ただ、
永遠のものを重んじるといっても、
それは永遠のものが具体的に堅固な形態として表現される場合に限られる。
わたしたちは今それを超えるものを前にしている
のである。
永遠のものがむき出しのままに求められ、
個人的なものはそれを前にして
退却する。
これは老年期に顕著な心的態度である。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]
『ゲーテ その生涯と作品』岩波書店、1996年、pp.957-958)

 

詩は、「愛と形象」。
ゲーテさんの詩は、はるかを遠望し、
生きることの無限の滋味を豊かにつたえてくれます。

 

・矛盾的自己同一の秋を行く  野衾

 

親のこと

 

先週金曜日から、数日、秋田に帰省しました。
齢93歳の父が、歩行が困難になった齢89歳の母を助け世話しています。
父は、
「この歳になって、こんなことをしなければいけないとは思わなかった」
と言います。
母はどうやら、
コレステロールの薬の服用が原因で歩けなくなった。
そのことを含め、
いまの父と母の姿は、
いろいろなことをわたしに告げているようです。
父も母も、耳が遠くなり、
ふつうの会話が、
まるで怒鳴りあっているように聞こえる。
帰省の際に読む本を持って帰るのですが、
父と母が起きているときは、ふたりの声がデカいのと、
テレビの爆音のせいで、
とても本など読んでいられない。
読めるのは、
父と母が寝ているあいだの時間に限られます。
いろいろ感じ、考えさせられ、横浜に戻ってきました。
てくてく歩いていると、
お年寄りがおおぜい集まっている建物が目に入りました。
たまたま、
カーテンが開いていました。
中が見え、お年寄りたちが、ジッと椅子に座り職員のほうを見ていた。
道の反対側からしばらく眺めていたのですが、
異様な光景に感じました。
すぐに父と母のことが目に浮かんだ。
いろいろあるけれど、
いまは、あのかたちがいいのかな。
大きな声を出すことも、
歩けなくなった母には、いい運動になっているかもしれない。
父と母の姿は、
本以上に、
おおくのことを訓え、諭してくれているようです。
これまでもそうでしたが、
命がけで、わたしと弟につたえています。

 

悪しき者は物を借りて返すことをしない。

しかし正しい人は寛大で、施し与える。

 

旧約聖書「詩篇」第37章21節にあることば。
紀元前1000年ごろのダビデの歌の精神が、父に宿っているようです。

 

・秋の空あるくキリスト吾に非ず  野衾

 

理解と諒解

 

りょうかいには、〈了解〉と〈諒解〉があり、現代表記では〈了解〉
が多く用いられていますが、
〈了解〉の了と〈諒解〉の諒では、
すこし意味がちがいます。
了に、さとる、おわる、などの意があるのに対し、
諒には、相手のこころを思いはかる、まこと、などの意があるようです。
なので、
漢字の諒を用いた〈諒解〉は、
相手のこころ、気持ちを汲んで分かる、
さらにいえば、ゆるす、受け入れる、の意味を含んでいる
ようにも感じ、
場面によって、
〈了解〉と〈諒解〉をつかい分けています。
さて、理解と諒解ですが、
こんなことを考えました。

 

1、理解して諒解する。

2、理解するけど諒解はしない。

3、理解しないけど、諒解する。

4、理解もしないし諒解もしない。

 

理解するしないだけだと、世の中、どうも世知辛くなってしまいそう。
理解をしようとせず、したがって諒解もしない、
などというのはもってのほか。
ぶつかって、けんかになってしまいます。

 

・蒔くことも刈ることもせぬ鳥が秋  野衾