理性の限界を知る理性

 

大学生のときにお世話になった嶋田隆先生が、
なにかの折に口にされ、
それがなんの折だったかすっかり忘れてしまいましたが口にされた
『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』
を、
ようやく読み始めました。
主人公ヴィルヘルム・マイスターのヴィルヘルム
は、
英語だとウイリアム・シェークスピアのウイリアム。
ゲーテさんが、
いかにシェークスピアさんをリスペクトしていたかが分かります。
また主人公が演劇人を目指すという設定は、
シェークスピアさんのことが念頭にあったことが、
その理由の一つか、とも考えられます。
ただいま、
岩波文庫の二冊目ですが、
なにによらず、ゲーテさんのものを読んで、感銘を受けるのは、
理性を超えたところにあるもの、
その世界へのまなざしです。
理性のもっともすぐれているところは、
理性の限界をわきまえていることにあると思われますが、
ゲーテさんは、
いつもそのことを思い出させてくれます。

 

真実と自然らしさという同じ基礎から出発しながら、
異なる方向をたどって、
ゲーテは社会主義運動の原型であるサン・シモン主義に反対する。
ゲーテは合理主義的な一面性、
なにごとも自分が指導者にならなければ気が済まない態度、
人間生活における
予見しがたいデモーニッシュなものの意義に対する完全な無理解
を断罪する。
人間生活は物差しのようなもので厳密に測れる
ものではない。
一回かぎりの、偉大な、深いものこそ、
神に由来する秘密めいた性格をもち、
生命を創造する要素にほかならないのである。
(アルベルト・ビルショフスキ[著]高橋義孝・佐藤正樹[訳]
『ゲーテ その生涯と作品』
岩波書店、1996年、p.1212)

 

・秋光や見慣れし色も思い出も  野衾