ある本を読んでいたら、横尾さんの名前が出てきました。
若いころ、横尾さんの本を何冊か読みました。
インドの話とか、夢の話とか。
それと、
好きで聴いていたマイルス・デイヴィスさんやサンタナさんの
レコードジャケットも手掛けておられ、
お目にかかったことはないけれど、
気になる存在。
なので、
横尾さん、どうしているかな?
となりまして、調べたら、おもしろそうな本が出ていました。
『原郷の森』
「げんきょうのもり」と読むようです。
さっそく買って読んでみた。
帯に、こんなことが書いてあります。
「ダ・ビンチ、ピカソ、デュシャン、北斎、三島、黒澤……
芸術家たちが時空を超えて語り合う異色の「芸術小説」」
たしかに、
そんなような内容の、小説というか、本でした。
亡くなっている人がバンバン出てきて、
ああも言い、こうも言う。
この人ならこういうことを言いそうだな、と思ったり、
こんなこと言うかな?と考えたりしながら、
たのしく読んだ。
わたしの好きな画家エドワード・ホッパーさんも登場します。
エドワード・ホッパーの運転で三島さんとニューヨークっ子ウォーホルと
ニューヨークのロングアイランドのサグハーバーに導かれたのも偶然
ではない。
そして今、
その必然としてインドに来ている。
全て運命の筋書き通りになっていると思えば、
何ひとつ抵抗するものはない。
かつての現実を「原郷の森」がなぞっているに過ぎない。
現界は霊界のコピーであるという。
今はかつて現界で起ったことを霊界がコピーしているように見えるが、
それだって、
霊界が先きに、現界にそのヒナ型を移植した結果である。
つまり現界は霊界と相対的であるということは
こういうことである。
人間は現界があって霊界が存在していると思っているが
全くその反対である。
(横尾忠則[著]『原郷の森』文藝春秋、2022年、p.362)
ちょっと、奥邃さんの「自然と超自然」を思い出しました。
・滝の下石に染み入る滴かな 野衾