アウエルバッハさんの『ミメーシス ヨーロッパ文学における現実描写』
のさいごのほう、
ヴァージニア・ウルフさんの『灯台へ』
に関し、割と熱っぽい記述がなされており、
そうだ、
買って本棚に差してあるのに、まだ読んでいなかったな、
というわけで、
さっそく読んでみた。
『ダロウェイ夫人』は読んでいましたので、
ウルフさんどくとくの運びは、
あまり違和感なく最後までおもしろく読みました。
小説のなかに、
リリー=ブリスコウという画家が登場します。
彼女についてこんなことが書かれてあり、
とても共感し、付箋を立てた。
そしてこれが――と、絵筆に緑の絵具をつけながらリリーは思う、
こんなふうにいろんな場面を思い描くことこそが、
誰かを「知る」こと、
その人のことを「思いやる」こと、
ひいては「好きになる」ことでさえあるはずだ。
もちろん今の場面は現実ではなく、単に想像したものにすぎない。
でもわたしにとって、
人を理解するというのは
こんな個人的な連想によるしかないように思う。
彼女はまるでトンネルでも掘るようにして、
さらに絵の中へ、
過去の中へと踏み込んでいった。
(ヴァージニア・ウルフ[作]御輿哲也[訳]『灯台へ』岩波文庫、2004年、
pp.334-335)
小説のさいごのさいごに、リリーさんのこの絵は描き上げられる。
そこがまたとても印象に残りました。
ひとがひとを知り理解するというのは、
時間をかけ、
ていねいに一枚の絵を描き上げるようなものなのだな
と、
ふかく納得しました。
・立ち止まり秋刀魚焼く香や小路の店 野衾