四半世紀

 

月に一度のミーティングというのがありまして、
その日には、社員一同が会し、いろいろの必要事項を共有するようにしています。
このごろ、
これがなんだか楽しい。
仕事上のことですから、笑えるような、
おもしろい話が飛び出すわけではないのですが、
それぞれの話、それぞれの人の話しぶりに個性が現れているように感じ、
味わい深い。
そんな感想をもちながら、
会社の来し方、行く末を考えます。
以前つとめていた会社が倒産したのを機に、同僚二人を誘い春風社を立ち上げました。
ゼロからの立ち上げで、
10万円を手にもち、
三人で神奈川県瀬谷区にある中古のオフィス用品店をたずねました。
しらべたら、いまもあるようです。
二年目は20万円をもって。
なつかしい思い出。
こういうエピソードは、どんな会社にもあるでしょう。
紀伊国屋書店を創業した田辺茂一さんに関する本を読んだとき、
会社の名前を耳にした人に、
みかんを売る会社ですか?と尋ねられたことがあった、
というようなことが書かれていて、
おもしろく読みました。
そういう創業の苦労話、こまかな精神は、
創業当時の人の胸に収めておくべきことなのかもしれません。
あたらしい葡萄酒はあたらしい革袋に
ということもありますから、
エピソードはエピソードとして、
しずかに笑っていたい気もします。
さて、来月から弊社は26年目に突入。
つぎの四半世紀にどうなっていくのか、見届けたい気もしますけど、
まもなく67歳になるので、
25を足すと92歳となって、ちょっと自信がない。
いつまでできるかわかりませんが、
あとは若い人にまかせようと思います。

きょうから所用で秋田に帰省します。
30日(月)に横浜に戻る予定。
ですので、30日の「よもやま日記」はお休みにします。
よろしくお願い申し上げます。

 

・吾もまた秋の閑の遊子かな  野衾

 

ご同輩

 

秋分の日が22日で、その日はそれほどでもなかったのですが、
24日になったら急に秋めいて
涼しさが心地よく、肌にしみ込むように感じられ、
きのうの25日も、暑さがぶり返すことなく、ほどよい涼しさでありました。
とはいうものの、
さすがにまだ長袖シャツは早いだろう
の気持ちで半袖シャツで外出したところ、
あら? あれ?
階段を下りて人通りのある小路へ出ようとしたとき、
とおり過ぎるふたりがふたりとも長袖のものを身に着けていました。
ちょっと不安になった。
ごみ集積所から右へ折れ、数歩歩いたところでふり向くと、
わたしと同年配ぐらいの男性が半袖シャツでふつうに歩いてくるではないか。
なんだか、ホッとした。
そういうわけで、
きのうは、保土ヶ谷駅に向かいながら、道行く人の長袖シャツ、半袖シャツの割合が気になり、
ん、この人は長袖、ん、この人も長袖、お、この人は半袖、あ、この人は長袖、
目がきょろきょろしてしまいます。
それで、あることに気づいた、わたしの感覚的統計によれば、
総じて、
わたしと同年配ぐらいの、中年から前期高齢者にかけての男性に半袖が多い。
加齢とともに、肌感覚も衰えたか、
なんてことを、
せっかちにも思ってしまった。
なので、
半袖の若い人を目にすると、なぜか、ホッ。
さてと。きょうは?

 

・いちにちの苦労いちにち虫の声  野衾

 

自宅PC設置成る!

 

パソコンに詳しい方にとっては、どうってことないことだとはおもいますが、機械音痴のわたし
にすれば一大事で、
家人に手伝ってもらったりなどし、なんとかブログ再開にこぎつけました。
二週間ぐらい空いてしまいまして、この間、いろいろ感じるところもありましたが、
正直にいえば、
朝、これを書く時間がないと、こんなにも気が楽か、
ということでした。
逆からいえば、それほどストレスになっていたのかと、われながら驚いた次第。
が、
また他方で、
じぶんとの対話の時間が無くなってしまった、
との気がしたのも事実です。
なので、つたないながらかえがたいこの時間をもう少し
つづけたいと思います。
それが、10月1日から26期目に入っていく弊社にとって、なんらか意味があることを念じ。
いわずもがなのことながら、
読んでくださる方がいればこそのことであります。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

三浦 拝

 

自宅PC設置

 

自宅のパソコンがこわれてしまい、「よもやま日記」をしばらく休んでいます。
朝のルーティンが無いとこういう感じかぁ、
などと、そのちがいを味わい、
かみしめたりしているきょうこのごろ。
きのうでした。
毎日読んでくれている秋田の弟から電話があり、
PCがこわれたそうだけど、
まさか、体調を崩しているのではないだろうな、
と。
どうもどうも。心配かけて申し訳なかったと謝った次第。
わたし個人は、いたって元気です。
さらに。
帰宅時、保土ヶ谷橋の交差点で知人から声をかけられ、「PCまだ直りませんか?」
は。これまた、どうもどうも。
で。
来週早々新しいPCを設置し、早ければ25日から通常通りの見込み。
よろしくお願い申し上げます。

 

三浦 拝

 

自宅PCが壊れました

 

いきなり、見たことないメッセージが現れ、焦りました。
ただいま対応を考えておりますが、
復旧するまで数日かかりそうですので、
しばらく休むことにします。
その間の手当も考えましたけれど、
おおげさにいえば、
朝、三時のあたまとこころで書いていますので、
それをだいじにしたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。

 

三浦 拝

父の日記

 

きのう、秋田の実家に電話し父と話をしていたときのこと、
若いときに出稼ぎをしていて書いた日記が物置から出てきたと、興奮気味に父がいった。
ええっ、
と、わたしも驚いた。
その頃の話は、父からよく聞いていて
2010年に上梓した拙著『父のふるさと 秋田往来』にも記した。
ただ、そのときは、
もっぱら父の記憶によって書いたのであって、
当時の日記があるとは、わたしはもちろん、父も念頭になかったと思う。
それが出てきたということは、
父が日記をつけはじめたのは六十年ほど前からと、
なんとなく
(そう考える根拠がないわけではない)
思ってきたのに、
さらに遡って七十年ほど前、
あるいはもっと前、
ということになる。
父は若い頃からよく出稼ぎをしていたけれど、
いくつか聞いて知っていたエピソードのなかに、北海道に行ったときのことがあり、
地元のノド自慢大会‎に出場したこと、
稼いだカネで、
秋田にいる妹たちにプレゼントを送ったことなど、
それも見つかった日記に記されていたと、
これは電話での父の話。
わたしが疑問に思ったのは、そもそもなぜ父が日記をつけようとしたのか、
ということ。
六十年ほど前、と思ってきたのは、
反当りの米の収穫量の多さで県から表彰されたことがきっかけ、
と父から聞いていたからだったが、
七十年というと、
さらにその前ということになるから、
これまでの理由付けだけでは説明しきれない。
なにかきっかけがあったはず。
根拠はないけれど、
ふと、
石川理紀之助さんでは、と、
閃いた。
父が学んだ金足農業高校の校庭には、石川さんの有名な「 寝て居て人を起こす事勿れ」
の碑がある。
石川さんは、農聖と称され、秋田の二宮尊徳ともいわれてきた。
石川さんは、こまめに日記をつける人だったらしく、
わたしは私家版の「石川理紀之助翁日記」を持っている。
薄い関係浅からず、
なにかあるような気がしてきた。

 

・夏だもの鼻血ぐらいと励まされ  野衾

 

楽しい時は疾く過ぎ去る

 

田辺聖子さんの『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』
がおもしろかったので、
田辺さんご本人に興味をもち、
『田辺聖子 十八歳の日の記録』を手に取りました。
時代的なこともありますし、
感じるところは多々ありましたけど、
子供の頃の写真、少女時代の写真が適度に添えられてあり、
全篇しみじみとしたものが伝わってきます。
下の文章は、
昭和二十年四月十一日の日記から。

 

夜。
ヘルマン・ヘッセの「青春は美うるわし」を読む。
豊かで溢れる美しさにみちみちた青春である。
他国で学んだ青年が最後の夏休みに故郷へ帰ってくる。
なつかしい家、美しいふるさとの自然、やさしい父母、愛らしい弟妹と、美しい少女……
これらのかもし出す雰囲気の中には、
「美しいものは早くほろび、楽しい時は疾く過ぎ去る」
という悲しい真理が底を貫ぬき流れ、
そこから発するみのりゆたかな青春時代へのあこがれの匂いがふくいくと香っている。
田園を故郷に持つ、幸福さがしみじみとわかる。
(田辺聖子[著]『田辺聖子 十八歳の日の記録』文藝春秋、2021年、p.26)

 

わたしが初めてヘルマン・ヘッセを読んだのも、十代でした。
『車輪の下』だったと思います。
主人公に感情移入し、
本のおもしろさを知って間もない頃でもありましたから、
よけいに忘れられない思い出です。

 

・「のである」の多きゲラ読む溽暑かな  野衾