田辺聖子さんの本で知った川柳作家で、もう一人、忘れたくないひとがいます。
馬場緑天さん。ろくてんさん。
毎日新聞社の校正係をされていたそうです。
ほんとうに。そういう気持ち、気分になること、あるある、あるなぁ、
その感じ、味わいは、俳句とまたちがっていて楽しい。
古い「番傘」幹部の馬場緑天《ろくてん》、
このころではもうすっかり川柳界に顔を出さないが、私はこの緑天の句も好きだ。
「然らばとばかり玉子をトンと割り」 以下、緑天
どういう状況か、さまざまに想像できて面白い。
「ぼんやりと夢と雨とが残る朝」
緑天の代表作は「これほどの腹立ちを女堪忍え」
である。
「堪忍え」は京ことばのセリフで、
男は身震いするほど腹が立っているのに、女はしれしれと、一言、言いすててつんとする。
この句は以前にも紹介したが、現代でも古くない。
「盥《たらい》の子お釈迦のやうに洗はれる」
「赤ん坊本来空を握りしめ」
もいいが、
極端な無口で、誤植の字について発言するときだけなめらかにしゃべったという
(緑天は毎日新聞の校正係だった)緑天の、
浮世ばなれした、放心の視線の句、
「縁側へ吹き戻されるシャボン玉」
もいい。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、p.367)
「ぼんやりと夢と雨とが残る朝」
夢を見、こういう朝を迎えたときが、たしかにあった気がします。
「これほどの腹立ちを女堪忍え」
笑ってしまう。
拍子抜け、というか、なんというか。
こういう状況に立たされたことのない男がいるだろうか?
「縁側へ吹き戻されるシャボン玉」
は~。ただただ、いいなぁ、であります。
・人がただにくき気のする溽暑かな 野衾