田辺聖子さんの本をとり上げてきましたが、
この本の主人公ともいうべき岸本水府について、水府さんという人は、
こういう方だったんだなぁと、
しみじみ感じさせられる文章がありました。
水府さんはもちろん、
水府さんのエピソードを記す田辺さんの文章もまた、
こころに染みます。
水府はある点では適当に政治人間であるが
(そうでなければ広告マンとして何十年もの業績を挙げてこられない)、
こと川柳に関して、また選に関しては、
廉直《れんちょく》の節目を通す男であったように思われる。
しかし
「番傘」の内部では投句者を顧みること篤かった。
「番傘」同人の片岡つとむさんは、
若いころの思い出を語られたときに、
片岡さんは奈良市役所の職員であったが、あるとき職場での体験を句にしたことがあると。
それは当時の市役所に出入りしていた悪徳業界紙の無法ぶりに対し、
若い心に憤激を発して創作したものだった。
近詠十句として出すと、
水府から長い手紙が来たそうである。
〈あなたの句を見せてもらったが、十句中、四句は頂くものがあった。
句としては頂けるのだが、しかしどうだろう。
これが「番傘」へ載って活字になれば全国へ散って誰が読むか知れない。
中には業界紙を経営している人もあるかもしれず、
その人は必ずしも悪徳業界紙ではないにしても傷つく場合もあるかもしれない。
そのことで「番傘」があらぬ誤解を受けて批判されたり、
あなたに迷惑がかかってもいけない。
どうでしょう、
これは一応見合せ、全く違う句を至急、送ってくれませんか、待っています〉
片岡つとむ氏は感動されて声が出なかった。
〈そこまでこまかく気のつく選者がいられるだろうかと思いました。
水府先生のこまやかな心づかいと面倒見のよさに、胸がつまりましたねえ〉
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、pp.571-572)
岸本水府さんは、現在の福助、サントリー、江崎グリコの広告を担当した
ことでも知られています。
コピーライターの草分け的存在でもあったようです。
・ペダル踏む蟹股おやじ夏の雲 野衾