田辺さんの本のおかげで、たっぷりどっぷりと、川柳の世界に浸ることができた
気がします。
さいごは「あとがき」から引用して終りにしたいと思います。
「私が川柳愛好者《フアン》であるのは、
私の書きたい小説風土が川柳の持ち味に通底しているからであろう。」
なるほど。
こういうセンスがどこから来たのか、
興味は尽きず、
ひきつづき田辺さんの『田辺聖子 十八歳の日の記録』を読むつもり。
かえりみれば実に多くのかたがたのご厚意に支えられて、書き上げることができた
との思いを深くする。
そして岸本水府の川柳に対する大いなる情熱が、
天界から無形に私を支援してくれた
のでもあろう。
それにしても――川上三太郎の水府への弔句は悲しくも美しい。
「千羽鶴 一羽は消えぬ 水の果て」
私もまた、拙吟を献じたい。
水府よ、君が生涯の奮闘に対して――
「太陽は孤独の王よ 水府また」
水府には水府麾下《きか》の「番傘」系作家をはじめ、
川上三太郎のように志を同じくして轡《くつわ》を並べてくれる僚友も多かった。
その限りでは孤立してはいなかった。
しかし川柳に対する社会的偏見と闘うとき、
……その果てしなき奮闘にふと、孤独感を強いられることはなかったであろうか。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、pp.693-694)
「太陽は孤独の王よ 水府また」と聖子さんは詠んでいますが、
これはまた
「太陽は孤独の王よ 聖子また」
であるのかもしれません。
『田辺聖子 十八歳の日の記録』を、これから読みますが、
ぱらぱらめくると、
聖子さんの少女時代の写真が何枚か掲載されていて、
それを見、いっそうその感を深くします。
・ゆふやけに烏二羽ゆく三羽ゆく 野衾