先週金曜日から、数日、秋田に帰省しました。
齢93歳の父が、歩行が困難になった齢89歳の母を助け世話しています。
父は、
「この歳になって、こんなことをしなければいけないとは思わなかった」
と言います。
母はどうやら、
コレステロールの薬の服用が原因で歩けなくなった。
そのことを含め、
いまの父と母の姿は、
いろいろなことをわたしに告げているようです。
父も母も、耳が遠くなり、
ふつうの会話が、
まるで怒鳴りあっているように聞こえる。
帰省の際に読む本を持って帰るのですが、
父と母が起きているときは、ふたりの声がデカいのと、
テレビの爆音のせいで、
とても本など読んでいられない。
読めるのは、
父と母が寝ているあいだの時間に限られます。
いろいろ感じ、考えさせられ、横浜に戻ってきました。
てくてく歩いていると、
お年寄りがおおぜい集まっている建物が目に入りました。
たまたま、
カーテンが開いていました。
中が見え、お年寄りたちが、ジッと椅子に座り職員のほうを見ていた。
道の反対側からしばらく眺めていたのですが、
異様な光景に感じました。
すぐに父と母のことが目に浮かんだ。
いろいろあるけれど、
いまは、あのかたちがいいのかな。
大きな声を出すことも、
歩けなくなった母には、いい運動になっているかもしれない。
父と母の姿は、
本以上に、
おおくのことを訓え、諭してくれているようです。
これまでもそうでしたが、
命がけで、わたしと弟につたえています。
悪しき者は物を借りて返すことをしない。
しかし正しい人は寛大で、施し与える。
旧約聖書「詩篇」第37章21節にあることば。
紀元前1000年ごろのダビデの歌の精神が、父に宿っているようです。
・秋の空あるくキリスト吾に非ず 野衾