姿は見えねども

 

ひょんなことから俳句を始めるようになって十四年が経過、
何が変ったかといえば、
いちばんは、なんといっても、
季節を意識するようになったことでしょうか。
きのうの帰宅時、
うぐいすがいい声で鳴いていました。
春先、ホー、ホケホケ、
と、
いかにも自信なさげ、
慣らし運転のような具合で鳴いていたのに、
きのうは、
保土ヶ谷の谷にひびき渡る、
清冽とでも評したくなるような声。
その声に打たれ、
階段の途中、足を止めて振り返りましたが、
姿を見ることは叶わず。
が、
体をもとに戻すまでの間、
もう一声聴かせてくれました。
大サービス精神。

 

・交差点ビルも庁舎もさみだるる  野衾

 

フーコーのこと

 

多くの人が、いろいろなところで引用し、解説もするミシェル・フーコーの、
『言葉と物』を読んでみて、
噂にたがわず、
頭のいい人だなと思いました。
つぎに、
フーコーの死後しばらく経って最終の第四巻が出たのを機に
『性の歴史』を読みはじめた。
第一巻と第二巻では、
原著の発行において八年の時が挟まれ、
訳者が違っているせいもあるかもしれませんが、
とにかく、
一巻目の『知への意志』では「頭のいい人」の印象は依然変らずでありましたが、
二巻目の『快楽の活用』では「頭のいい人」に加えて、
どういえばいいのか、
うまい言葉が見つかりませんが、
肉声が聴こえてくるような、
とでも申しましょうか、
ギリシャ古典を引き合いに出しながら、
記述のうちから、
これまでと違ったある緊張感が伝わってくる気がします。
『性の歴史』の当初の構想が大きく変更になったことからもうかがえるように、
八年の間に、
フーコーに、目に見えてか、見えないでか、
ともかく、
なにかあったのかもしれません。
トーンが変った。
本気の本がいつもそうであるように、
二巻目のこの本には、
逡巡とともに、
「わたしとは何か」が詰まっているように思います。

 

・日の暮れて蟻一匹の重さかな  野衾

 

月曜日の重さ

 

このごろは、日曜日に出社することが間々ありましたが、
おととい六日は終日雨だった
こともあり、
家で静かにしておりました。
明けてきのうの月曜日、
どーんと音立てていろいろ襲ってきた。
日曜日の静と、月曜日の動、
体と頭と心がなかなかついていきません。
置いてきぼりを食らったような具合。
若いときは、
月曜日の押し寄せる動に対して身構え、
スッと対応できた
気がします。
ワクワクしました。
だんだん、だんだん、
それと気づかぬうちに、出来なくなりました。
これも老いの一つでしょう。
なるべく日曜日は出て、
準備体操を怠らず、
月曜日の重さに潰されないようにしたいと思います。

 

・気掛かりはあれど丘上初夏の風  野衾

 

古賀メロディのルーツ

 

「処女作に本人のすべてが表れるとか、
ファースト・アルバムを聞くとその人の全部が見えるとか、
そういう言い方がありますよね。
大家と呼ばれている方々だと、全盛期の作品が一番いいように思われがちだけど、
確かにデビュー作にこそいろんなものがつまっているんですよ。
成功したにせよ、失敗したにせよね。
例えば古賀政男さんの「影を慕いて」は、
作曲家になる前、
明治大学のマンドリンクラブの時に、
学祭に佐藤千夜子を招ぶために作った曲だからね。
プロの歌手に捧げるために。
だから作詞作曲なんですよ。あの方が作詞しているのは珍しいでしょう。
メロディはスペインのギター奏者・セゴビアの帝劇での演奏
に感激して作ったものらしいけどね。」
(大瀧詠一『大瀧詠一 Writing&Talking』白夜書房、2015年、pp.701-702)

 

古賀政男の「影を慕いて」といえば、
わたしでも口ずさめるぐらいですから、そうとう有名。
暗いメロディですが、
しっとりと静かに沁みてくる感じがして、
大川栄策が歌う「影を慕いて」など、つい聴き惚れてしまいます。
日本のこころを奏でる古賀メロディ
の代表曲とされている「影を慕いて」ですが、
引用した大瀧詠一の記述によれば、
そのルーツはセゴビアにあった、ということになり、ビックリ!
ただ、
ウィキペディアなどにより調べてみると、
疑問がないわけでもなく。
ウィキでは、
1929年6月、佐藤千夜子が明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会に出演し、
ギター合奏により初演された「影を慕いて」に注目する、
となっていますが、
セゴビアが初来日し、
東京帝国劇場においてギター演奏をしたのは、
1929年10月26日という記述がありまして、
時間軸で見たときにちょっと話が合わないような。
にしても、
セゴビアのギターの音には、たしかに、
古賀メロディにつながるものがあると、わたしも思います。

 

・新しきこともう一つ衣更え  野衾

 

「遠立」について

 

年に二回発行(コロナの影響で通常通りの配布が叶わず、
今回だけ、少し間が空いてしまいました)
している『春風新聞』には、
毎号、
新井奥邃(あらい おうすい)の文章から短い言葉を1ページ目に載せています。
今号の言葉は「相敬して遠立せよ」
互いに相手を敬いつつ、馴れ馴れしくすることなく、遠く立って接しなさい、
とでもなるでしょうか。
この「遠立」という単語、
聖書に出てくる言葉だと教えてくださったのは、
立教大学名誉教授の鈴木範久先生。
新井奥邃に関するシンポジウムが開かれたとき、
そのことをわたしに教えてくださり、
後日、
「遠立」がでている聖書の箇所をコピーし会社宛てに送ってくださいました。
現在流布している聖書には、
漢字二文字で「遠立」そのままはでてきません。
しかし、
聖書協会共同訳『聖書』「ルカによる福音書」第23章49節に、
「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従ってきた女たちとは遠くに立って、
これらのことを見ていた」
とあります。
イエス・キリストの十字架上の死を見ている大事なシーン。
「遠くに立って」=「遠立」
ということになります。
共観福音書中、
同じ箇所について、
「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」は、
現行の日本語では、
共通して
「遠くから見守っていた」と表現しています。

 

・怒り去り真白き雲や衣更え  野衾

 

正しい人はいない

 

ルターとカルヴァンは、
中世後期の修道生活を堕落させていた霊的優越性のイデオロギーを、
たしかに正しくも断罪したのだが、
彼らは結局、
独身主義の召命そのものの信用を傷つけ、
キリスト教的生の広がりを大いに切り詰めることとなった。
そして、
彼らの宗教改革は「改革」のもう一つの段階を経て、
今日の世俗的な世界の形成を助けてきた。
(チャールズ・テイラー[著]/千葉眞[監訳]
『世俗の時代 下』名古屋大学出版会、2020年、p.918)

 

『世俗の時代』は、チャールズ・テイラーの主著とされるものですが、
歴史の時間をクロノスとカイロスの視点からとらえるなど、
目を開かれることがいくつかあったなか、
引用した箇所も、目をみはり、
また、
しばらく前に、
カルヴァンの『キリスト教綱要』を読み、息苦しくなった時間と感覚とを重ね、
個人的に合点がいった気がします。
カルヴァンを読んでいると、
いいところももちろんありましたが、
万力でギリギリ首を締め付けられるようにも感じ、
読んでいるこちらの生が全面否定される
ような、
そんな感慨に捕らわれた。
はっきり言って、
カルヴァンの人間の見方は狭い、
と感じた。
「正しい人はいない」
という旧約聖書のことばは、
例外なく、
ルター、カルヴァンにも当てはまりそうです。

 

・入り立ちて古びた寺の四葩かな  野衾

 

永遠の沈黙

 

「人は自らの民族の沈黙のうちに沈み込み、
そこから浮上を繰り返すたびに、
その永遠の沈黙のうちに捉え得る原初の創造から今日までの繋がりを見出す」
(チャールズ・テイラー[著]/千葉眞[監訳]
『世俗の時代 下』名古屋大学出版会、2020年、巻末第20章注の22、p.50)

 

齢を重ねるたびに、感動や疑問、願いや希望を含め、
たとえば、
世界は、宇宙はどうなっているの?
果てはあるの? この世でいちばん強いのはだれ? ニンゲンはどうして死ぬの?
死ねばどこへ行く?
子どものときに感じたさまざまなことが、
大人になるにつれてやせ細り、削ぎ落とされ、
また、
削ぎ落としていくのが大人になることだとの言説に多く触れるようになりますが、
そうではないのではないか、
と、このごろ感じます。
子どものときに感じたもろもろは、
幼く、物を知らなかったからではあるけれど、
物を知らなかったからこそ、
本当に大事なことを感じ分け、よちよち、とぼとぼ歩いていたのではないか。
まとわりつく子どもらを散らそうとする弟子たちに向かい、
そんなことは必要ない、
と諭されたイエス・キリストのことばには、
計り知れない真理がある気がします。
上で引用した文は、
チャールズ・テイラーが印象深く解説を加えているシャルル・ペギーによるもの。

 

・紫陽花や寺一層の気韻盈つ  野衾