意識と経験

 

私が採用している原理は、意識が経験を前提としているのであって、
経験が意識を前提しているのではない、
ということである。
意識は、
或る感受の主体的形式における特別の要素である。
したがって現実的存在は、
その経験の或る部分を意識するかもしれないし、意識しないかもしれない。
(A.N.ホワイトヘッド[著]/平林康之[訳]『過程と実在 コスモロジーへの試論 Ⅰ』
みすず書房、1981年、p.77)

 

先月末、
佐藤陽祐さんの『日常の冒険 ホワイトヘッド、経験の宇宙へ
を出版しましたが、
そこに多く引用されていた『過程と実在』
が面白そうでしたので、
いい機会と思い、
古書を買い求め読みはじめたら、
数学から学問を始めた人らしく、伸びやか、
かつ、
広々とした世界へいざなわれるような、
そんな風景が展開しています。
上で引用した箇所など、なるほどその通りと合点がいくし、
佐藤さんの論考をさらに追体験できた気がし。
また、メルロ・ポンティの『知覚の現象学』を思い出したり。

 

・野良猫がぺろり舌出す暑さかな  野衾