三山について

 

わがふるさと井川町出身で、
秋田魁新報社長、秋田市長、いまの秋田放送社長などを歴任した人に、
武塙三山というひとがいます。
本名は祐吉。
なので、
三山は雅号ということになります。
「三山」は、
早稲田大学教授で『大日本地名辞書』の著者・吉田東伍が秋田を訪れたとき、
ねがっていただいたもの。
そのときの吉田のコメント、
「高山というものは、たいがい二国ないし三国にまたがっている。
例えば、鳥海山は秋田と山形の両県にまたがっているが、
ひとり太平山だけは秋田一国に独立して聳えている。
中国では太平山を三山と呼び、名山として名高い」
秋田にも太平山があり、中国の太平山の別名が三山であることからの提案、
ということになるでしょうか。
そのことは、
武塙本人が記していますから、それ以上のことはありません。
が、
「三山」という単語は、
郷土が生んだ偉人ということもあり、
わたしに深く刻まれているところがありまして、
「三山」を目にすると鋭く反応している自分に気づきます。
前置きが長くなりました。
ただいま岩波文庫で『文選』を読んでいまして、
その二冊目に沈約《しんやく》の「遊沈道士館(沈道士《しんどうし》の館に遊ぶ)」
という詩が収録されています。
その五句目が「銳意三山上(三山の上に鋭意し)」
しかして「三山」とは?
語釈を見ると、
「東海に浮かぶ蓬萊《ほうらい》・方丈《ほうじょう》・瀛洲《えいしゅう》の三仙山」
とあります。
仙山は、仙人が住む神の山。
武塙三山を、
わたしは写真でしか見たことがありませんが、
晩年の三山は、飄々として、
どこか仙人をほうふつとさせます。
沈約の「遊沈道士館」の詩からいっても
武塙さんには「三山」が似合っていそうです。

 

・梅雨の朝台湾栗鼠の駆け抜けり  野衾