いのちのふるえ

 

この季節、外へ出ると、大瀑布のようなる蟬の声が襲ってきます。
指でつまめるほどの体が発する、
何万年のまえからつづく、
小さないのちの大合唱。
猛暑酷暑は身にこたえますが、
耳を突き破るような壮大な自然の音楽は爽快そのもの。
つとめを終えた蟬たちが、そろそろ地面に身を横たえ始めました。
ころんと静かの貌に見とれてしまいます。
つまめば、
いのちが抜き去られ、いかにも空っぽ、のものあり。
かと思えば、
いのちのちからが充ち溢れ、
指先に伝わってき、
静謐の時が辺りを支配するかのようなものあり。
いのちが黙って歩いていきます。

 

・昼餉終え風鈴の音の幽かかな  野衾

 

和漢三才図会

 

或る時私は先生より、
「あなたは和漢三才図会をよんだことがありますか。」
と聞かれ、
何気なく「読みました」と答えた処、非常に叱られた。
その際先生はこう云つた。
「今の人間は本の数さえ沢山よめばそれでよいと思つているが、
それでは本当のことはわからん。
三才図会のようなよい本になると、
一通りや二通り読んだゞけでは駄目です。百ぺんでも二百ぺんでも読んで、
生きた人間にあてはめて見て、
わからん処のなくなるまで読まねばなりません。
あなた方の読んだというのは、それは本当に読んだのではない。
ただ眼で見たゞけに過ぎない。」
(代田文誌『沢田流聞書 鍼灸眞髄』医道の日本社、1941年、p.143)

 

引用した文の「先生」とは、鍼灸の名人で、天才とも称された沢田健。
以前、
お世話になっている朝岡鍼灸院の朝岡和俊先生
との対談の折にも取り上げた本。
どういうきっかけ、なんの因果か忘れましたが、
不意にこの本のことが思い出され、
いい機会かもしれないと思いましたので、
数年前に買って会社に置いたままの、平凡社の東洋文庫に入っている口語訳『和漢三才図会』
を一巻目から読みはじめました。
いま四巻目。
全部で十八巻あります。
三才とは、天、人、地、
著者の寺島良安は医者ですから、人体に関して、鍼灸に関しては、
なるほど、
沢田先生がおっしゃるのも宜なるかな
ではありますが、
これはどうなの? と首を傾げるような記述(とくに外国の地誌、外国人の特性に関して)
もあり、
笑ってしまう絵が少なくありません。
江戸時代の百科事典のようなものですから、
ゆっくりページを繰っていると、
かの時代にワープしたような妙な感覚に捕らわれます。
しばらくは、
江戸でうろうろすることにします。

 

・打ちとけて風鈴の音に語るかな  野衾

 

坂の上から

 

だいぶ、というか、そうとう、いや、かなり暑くなってきました。
帰宅時、家にたどり着くには、
最後の難関の階段と坂を上らなければならず、
年とともに、
なんでこんな場所を選んでしまったんだろうの感慨がもたげてしまうことも、
ないではないのですが、
坂の上から、
夕日に照らされた東側の丘、さらにその上の空を眺めると、
ああ、
きょうも一日が無事に終った、
どうもどうも。
で。
一分もないぐらい
(たまにおそらく一分を超えて)
だとは思いますが、
とても気持ちが高揚し、逆に、こころが落ち着く気がします。
「わたし」の感情に縛られず、逆らわず、
やり過ごす。
脳内のことまでは分かりません。
さて、
コーナーを曲がったところで、
腰の曲がったおばあちゃんがゆっくりと腰を伸ばしています。
体操かな。
どうも。
は。どうも。
富士山が見える辺りの空は深紅に染められ。
ほー、うぐいす。
どうもどうもどうも。

 

・いつなれや逢ふ日の庭の蟬のこゑ  野衾

 

孔子と少正卯

 

魯国の都において、孔子塾に対して、
少正卯《しょうせいぼう》という人物の塾も相当な勢力があったらしい。
孔子にとってライバルである。
だから、
孔子は五十歳をすぎて魯国の閣僚となったとき、
ライバルの少正卯をただちに暗殺している。
おそらく少正卯の塾を解体するためであっただろう。
(加地伸行『儒教とは何か 増補版』中公新書、2015年、p.99)

 

引用した箇所に出てくる少正卯について、わたしは知らずに来ました。
『史記』も割と最近読んだのに、
こんな大事なことを見逃していたのかと、がっかりします。
気になりましたので白川静さんはどんなふうに取り上げているか、見てみました。

 

[史記]はなおこのあとに、翌十四年、大司寇より宰相のことを摂し、
大夫少正卯を誅殺した事件を特筆している。
その話は[荀子]宥坐篇に初見し、
秦漢以後の書には、しばしばみえる有名な事件である。
[荀子]によると、
少正卯は、「居處は以て徒を聚めて群を成すに足り、言談は以て邪を飾り、
衆をまどはすに足る」小人の傑雄であったという。
「青年を堕落させる」詭弁学派であったらしい。
陽虎にしても少正卯にしても、
孔子が最も鋭く対立したものは、どこかで孔子に最もよく似ている相手であった。
(白川静『白川静著作集 6 神話と思想』平凡社、1999年、p.315)

 

う~ん。ちなみにちょうどいま『荀子』を読んでいますので、
ずっと後ろのほうに登場する「宥坐篇」のその箇所にあたってみました。
するとたしかに、少正卯誅殺の記事があり、
つづいて、少正卯を無き者にしたことに対する弟子の疑問に答え、
孔子が語ったとされる文言が記されています。
さて、この事実をどう見るか。
短兵急に答えを出すことは慎まなければなりません。
中国でもいろいろに議論されてきたようです。
論語好きの渋沢さん、また、吉川幸次郎さんは、どう見ていたのだろう。

 

・守られて早うとうとと蚊帳のなか  野衾

 

しにゃ

 

よく行くコンビニで、お惣菜の棚を見たらイカの塩辛が目にとまり、
ひょいと手に取り、買い物かごへ。
夜まで待てず、
昼食のおかずとしてさっそく封を切りご飯の上へ。
やわらかく味もいいのですが、
なんとも、しにゃ!
家人も一緒でしたから、
「しにゃ、ってことば分かる?」
「分からん」
「分からないでしょ。これ、いいことばだと思うんだよね。
あえて説明すると、
嚙んでも嚙んでも嚙み切れない状態
のことなんだけど、
仮に、
嚙んでも嚙んでも嚙み切れない、と言ったとすれば、
意味は分かるけど、
音としては、
歯切れがよすぎて意味と合っていない気がするんだよね」
方言の良さは、こういうところにある。
音と意味がぴたりと一致する。
ちなみに、
たとえば相撲取りが土俵際で踏ん張り、
からだを柔軟に保ちつつ、負けそうでいてなかなか負けない場合、
秋田では「しなづれ」
と言いますが、
これも、「しにゃ」に近く、
撓う《しなう》+強い、という意味でしょう。

 

・蚊帳の腹足蹴に馬の夢を見る  野衾

 

桂川さんの装丁

 

今月五日に亡くなられた桂川潤さんに、拙著も装丁(本文レイアウトも)していただきました。
石巻片影
いまこの本を手に取り、ページをひらくと、
本づくりにかかわった時間がしずかに蘇ります。
写真と文字が載っている、
いわば白のキャンバス
がよく利いていると思います。
これが桂川さんの精神をよく表しているようです。
桂川さんは、
じぶんの主張はしっかりと持っていましたが、
オレが、オレが、と、つよく主張する人ではありませんでした。
体の前で両手を合わせ、静かに控え目に立っている、
そんな姿が浮かんできます。
こちらの話にじっと耳を傾け、
著者のこころを深く汲んでくださいました。
どの本に対してもそうだったでしょう。
こんなことがありました。
わたしが担当している本についてイメージを伝えたところ、
桂川さんは自身でテキストを読み、
ジャケットデザインに関してわたしのものとは異なるイメージを持たれたらしく、
そのことを連絡してきました。
それがとても素晴らしく、
わたしは当初のじぶんのイメージを取り下げ、
桂川さんのイメージで進めてほしい旨を電話で告げました。
わたしは桂川さんを信頼していましたし、
桂川さんも、
わたしを信頼してくれていたと思います。
いっしょに仕事ができたことがわたしの誇りです。
上で「白いキャンバス」と書きましたが、
桂川さんは、若いころ、画家を目指した時期があったそうです。
装丁の仕事に関して
『本は物である――装丁という仕事』
『装丁、あれこれ』
があり、
二冊とも、
いかに愛情をもって本づくりをしていたかがしみじみ伝わってくる名著ですが、
それを支えていた「白いキャンバス」を思います。
同じ白い紙なのに、
桂川さんの装丁における白は、
本によって意匠はいろいろあるけれど、
テキストをやさしく持ち上げ、
やわらかい光を発しているようにも感じます。
年に120冊(!)ほどの本を装丁していたそうですが、
白の利いた装丁が多かった気がします。

 

・マンボウが自転車で行く溽暑かな  野衾

 

生き物たちの饗宴

 

連日暑い日がつづいていますが、
暑いのは人間だけではないようで、このごろいろんな生き物をよく目にします。
朝から台湾栗鼠が電線を這い、
ダンゴムシがエアコンのホースから流れ出る水の辺りをうろちょろ、
トンボが飛んできてベランダの手すりに止まり、
かと思えば今度はアゲハチョウ。
また、
尻尾の青いニホントカゲが連日ベランダに現れました。
お日様が昇ってくる方角へ向かい頭を上げている姿は威厳さえ感じます。
きのうはかかりつけのクリニックに行く日でしたが、
長い階段を下りていく途中、
ここでもニホントカゲに遭遇。
青い尻尾にしばし見とれ。
頭上では、蟬がいまこのときとばかりに鳴いています。

 

・タイヒラメ溽暑の国の竜宮城  野衾