希望の風景

 

これまでに書かれたことはすべて、私たちを教え導くためのものです。
それで私たちは、聖書が与える忍耐と慰めによって、希望を持つことができるのです。

 

三十一年ぶりに翻訳がなった聖書協会共同訳聖書の
「ローマの信徒への手紙」第15章4節。
四十数年前、
わたしが大学に入りすぐに求め、くり返し読んできた口語訳聖書では、

 

これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教《おしえ》のために書かれたのであって、
それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。

 

ヘボン、ブラウンらを中心に翻訳が開始され、
1887年に新訳旧約の翻訳がそろい、明治時代以来よく読まれてきた、
いわゆる文語訳聖書では、

 

夙《はや》くより錄《しる》されたる所は、みな我らの教訓《おしえ》のために錄ししものにして、
聖書の忍耐と慰安《なぐさめ》とによりて希望《のぞみ》を保たせんとてなり。

 

《  》内は、実際はルビ。ちなみに聖書はすべての漢字にルビが付されています。
平仮名が読めるものは誰でも、子どもも読めるように、
という願いを込めてでしょうか。
それはともかく。
くり返し読んできた聖書ですが、
どの訳で読んでも、
希望、あるいはのぞみ、ということばによって喚起される生の風景は、
永遠の現在の貌を見せてくれているようです。

 

・物干しに体かためて梅雨の蠅  野衾