桂川潤さんを悼む

 

今月五日、装丁家の桂川潤さんが病気のため、亡くなりました。六十二歳。
春風社、また、わたしとは十年を超える付き合いになります。
二〇〇九年九月に拙著『出版は風まかせ』
を上梓しましたが、
それから一年ほどたち、
面識がなく、どういう方か存じ上げない人から本を贈られました。
『本は物である――装丁という仕事』
がそのタイトル。
著者の名は桂川潤。装丁家。
高著のなかに、
拙著のなかの文言が引用されており、
巻末の人名索引には、わたしの名がありました。
ご恵贈いただいたことに対するお礼の手紙をお送りしたところ、
今度は日本酒が送られてきました。
すぐに電話でお礼を申し上げようとしましたが、
それでは儀礼的すぎる、
と思い直し、
会社にある湯呑を持ち出し、
一杯飲んで味を確かめたうえで、桂川さんに電話をし、
お礼を伝えました。
飲んだうえでの電話であることを知った桂川さんは、
とても喜んでくださり、
わたしは、
桂川さんの声、話しぶりから、
まだお目にかかったことがないのに、
なんてきれいなひとなんだろうと思いました。
あれから十一年近く、
公私ともに親しくさせていただきました。
春風社の本の装丁は、数えていませんが、百冊に近いと思います。
いっしょに山を歩き、酒を酌み交わし、俳句を作りました。
物としての本を愛し、
本づくりにいっしょうけんめいでした。
齢が近いということもあり、
本の話、音楽の話、旅の話、会えばすぐに盛り上がりました。
口をすぼめ、少し高音で話す話しぶりが特徴的で、
なんてチャーミングな人だろうと思いました。
そして、なんとなく、
わたしの勝手な感じ分けですが、
どの話の底にも悲しみが湛えられていた気がします。
ツイッターで、
ハンス・キュンクの浩瀚な『キリスト教――本質と歴史』を装丁されることを知り、
電話で刊行予定を問い合わせたところ、
予定を教えてもらい電話を切ったのですが、
すぐ後で、
メールが届き、
「三浦さんが読むのなら、装丁家としていただける本を差し上げます。
読む本がいっぱいあり、
わたしが読むのは、もっと先になるでしょうから、
三浦さんにプレゼントします。
本にとっても、読んでもらえるのがいちばんの幸せですから」
とありました。
電話で聴いたさいしょの印象どおり、
桂川さんは、こころのきれいな人でした。
残念です。
ご冥福をお祈りします。

 

・傘外し喜雨全身に浴びにけり  野衾