横須賀で高校の教員をしていたころ、
夏休みの宿題として読書レポートを生徒に課していた時期がありました。
けっこうつづけた記憶があります。
わたしがえらんだ五十冊に、
短くそれぞれの本の紹介文を入れ、
B4判の紙に、
あのころはまだタイプライターだったか、
ガチガチ打って、
生徒に配りました。
そのなかの一冊にたしか、
富山和子さんの『水と緑と土』が入っていたと思います。
レイチェル・カーソンの『沈黙の春』
との関連で取り上げたのだったかもしれません。
あれからずいぶんと時間がたってしまいましたが、
いままた富山さんの
『日本の米 環境と文化はかく作られた』
を読んでいます。
ドナルド・キーンさんの『百代の過客』から、
日本人の感性の奥底に、
水田稲作によって錬成されたものが息づいているのではないかという想像を、
先日このブログに書きましたが、
富山さんの本を読むことでなおいっそう、
米づくりと日記的感性の重なりを思わずにはいられません。
「日本の田んぼはダムである」
との見方を、
最近は割と目にすることが多くなりましたが、
それを最初に唱えたのが富山さんです。
・ゆつくりと栗鼠電線を梅雨曇り 野衾