永遠の沈黙

 

「人は自らの民族の沈黙のうちに沈み込み、
そこから浮上を繰り返すたびに、
その永遠の沈黙のうちに捉え得る原初の創造から今日までの繋がりを見出す」
(チャールズ・テイラー[著]/千葉眞[監訳]
『世俗の時代 下』名古屋大学出版会、2020年、巻末第20章注の22、p.50)

 

齢を重ねるたびに、感動や疑問、願いや希望を含め、
たとえば、
世界は、宇宙はどうなっているの?
果てはあるの? この世でいちばん強いのはだれ? ニンゲンはどうして死ぬの?
死ねばどこへ行く?
子どものときに感じたさまざまなことが、
大人になるにつれてやせ細り、削ぎ落とされ、
また、
削ぎ落としていくのが大人になることだとの言説に多く触れるようになりますが、
そうではないのではないか、
と、このごろ感じます。
子どものときに感じたもろもろは、
幼く、物を知らなかったからではあるけれど、
物を知らなかったからこそ、
本当に大事なことを感じ分け、よちよち、とぼとぼ歩いていたのではないか。
まとわりつく子どもらを散らそうとする弟子たちに向かい、
そんなことは必要ない、
と諭されたイエス・キリストのことばには、
計り知れない真理がある気がします。
上で引用した文は、
チャールズ・テイラーが印象深く解説を加えているシャルル・ペギーによるもの。

 

・紫陽花や寺一層の気韻盈つ  野衾