安心が危険

 

若いころ、
自宅で骨折した話を読んだり聞いたりすると、
野外でならわかるけど、
どうして家のなかで骨を折るような大けがをするのか
不思議に思ったものでした。
が、
還暦を過ぎた今、
そのことがようやく身にしみて理解できるようになりました。
たとえば畳。
これが危ない。
夕飯は畳の部屋と決めており、
折り畳み式の小さなテーブルを出すのですが、
裸足でも、靴下を履いていても、
畳の目の方向に足を載せると、
一所懸命だけれどつまらぬお笑い芸人ほどに、つるりと滑る。
畳がこんなに滑るとは。
それがこのごろの発見です。
また、
一日のいろいろを終えて、やれやれ、
どっこいしょ、
床に就こうとするときも、
危ない。
布団は柔らかいという先入観がありますから、
からだを丸ごとドシンと布団に落とそうとして、手を突っ張る。
一瞬ですが、
手首に相当な重量がかかる。
これが危ない!
というようなことでありまして、
こころを安んじ力が抜けることの多い自宅ではあるけれど、
それは危険と隣り合わせなんだ、
と、
このごろ実感しています。

 

・保土ヶ谷を水墨画にして通り雨  野衾

 

本の外の本

 

むかし松坂慶子さんが歌った歌に「愛の水中花」がありました。
作詞は五木寛之さん。

♪これも愛あれも愛たぶん愛きっと愛…

そんなふうに始まる歌でした。
1979年リリースとのことですから、
四十二年前。
もうそんなになりますか。
長田弘さんの詩「世界は一冊の本」の冒頭を思い出しているうちに、
連想のシナプスが、あらぬ方向へ連結され、
そういえば、
これも愛、あれも愛、
って歌があったな、
と。
枕が長くなりましたが、
朝、
お気に入りの一人掛けソファに体を預け、
読みかけの本の頁を追いかけていると、
視界の上部を横切るものがあり、
ふと目を上げる。
と、
二羽の小鳥が飛んでいきました。
メガネを外して本を読んでいるため、なんの鳥かまでは見分けがつきません。
ソクーロフの映画にこれと似たシーンがあったような。
シナプスはまた別の方面へと連結され。
うん。
メガネを外した状態で見る薄ぼんやりした世界も悪くない。
しばらくそうして眺めています。
外を見ているのか、
内を見ているのか、
境界が次第に曖昧になってきます。

 

・裏木戸や保土ヶ谷に盈つ草いきれ  野衾

 

フーコーの本気度

 

ミシェル・フーコーの『性の歴史』の最終四巻目『肉の告白』が、
フーコー没後三十数年を経てフランスで刊行され、
その日本語訳が昨年暮れに出版されました。
この機にあたり、
ⅠからⅢを通して読み、
最新刊の四巻目を期待を込めて読みはじめたところ、
まだ途中ですが、
期待以上に引き込まれました。
フーコーがいかに深く聖書を読み込んでいたか
を思い知らされ、
また一哲学学徒として、
身一つで二千年のキリスト教史に切り結んでいこうとする気概を感じます。
ヨーロッパに生を受けた人間として、
他人事でなく、
キリスト教を無視するわけにはいかなかったのでしょう。
アウグスティヌスへの言及が極めて多いことからもそれが分かる
気がします。
慎改康之さん訳の読みやすい日本語のおかげもあり、
フーコーの肉声が聴こえてくるようで。
この一冊により、
フーコーに対する見方が変りました。

 

・夏草や下に蠢くもののあり  野衾

 

本とリンゴ

 

子どものときに本を読まなかったわたしが高校生になって本を読むようになり、
その後、
本づくりを生業にするようになったことについて、
これまでいろいろ、
書いたり話したりしてきましたが、
いま用意している拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』
に収録する跋文として、
敬愛する学習院大学教授の中条省平先生がお書きくださった原稿を読み、
あらためて、
わたしの本に関する身体感覚に思いを馳せました。
わたしが秋田に住んでいたころ、
リンゴを食べるとき、
包丁を使うことはもちろんありましたが、
包丁を使わずに、
リンゴの皮をズボンにこすり付け、
磨き、
それからリンゴを両手で持ち、
両手の親指をリンゴの上の窪み(梗窪《こうあ》と呼ぶらしい)に押し当て、
身体を中腰にし、
膝にリンゴをあてがい、
腰を入れ、ぐぐっと力を入れてリンゴを二つに割ることが、
間々あったと記憶している。
若かった父も、
力が強かった祖父も、
そうやってリンゴを割ってくれたから、
わたしも真似してそうした。
そうとうの力が要った。
二つに割れたリンゴは、みずみずしい飛沫が飛び散り、
まな板の上のリンゴを包丁で行儀よく切ったときとは違った美味しさがあったと思う。
その感覚は、
いまもわたしの指先に残っている。
紙の本を両手で持ち、
ノドのところをぐっと押し開くとき、
リンゴを二つに割ったときの快感がよみがえる。
それはさらに、
エロティックな連想にまで直結する。
芯と真。
かつて、敬愛する詩人から、
「どんな本が好きなの?」
と訊かれ、
ああ、ジャンルのことをおっしゃっているのだなとは思ったけれど、
わたしは、
「はい。分厚い本が好きです」
と応えて詩人に笑われ、
それでわたしも満足した。
が、
分厚い本が好きな「好き」の根底に、
リンゴを二つに割るときの体感があることに、
中条先生の原稿を拝読し、
いまそのことに思い至った。

 

・五月雨や男三人軒の下  野衾

 

三山について

 

わがふるさと井川町出身で、
秋田魁新報社長、秋田市長、いまの秋田放送社長などを歴任した人に、
武塙三山というひとがいます。
本名は祐吉。
なので、
三山は雅号ということになります。
「三山」は、
早稲田大学教授で『大日本地名辞書』の著者・吉田東伍が秋田を訪れたとき、
ねがっていただいたもの。
そのときの吉田のコメント、
「高山というものは、たいがい二国ないし三国にまたがっている。
例えば、鳥海山は秋田と山形の両県にまたがっているが、
ひとり太平山だけは秋田一国に独立して聳えている。
中国では太平山を三山と呼び、名山として名高い」
秋田にも太平山があり、中国の太平山の別名が三山であることからの提案、
ということになるでしょうか。
そのことは、
武塙本人が記していますから、それ以上のことはありません。
が、
「三山」という単語は、
郷土が生んだ偉人ということもあり、
わたしに深く刻まれているところがありまして、
「三山」を目にすると鋭く反応している自分に気づきます。
前置きが長くなりました。
ただいま岩波文庫で『文選』を読んでいまして、
その二冊目に沈約《しんやく》の「遊沈道士館(沈道士《しんどうし》の館に遊ぶ)」
という詩が収録されています。
その五句目が「銳意三山上(三山の上に鋭意し)」
しかして「三山」とは?
語釈を見ると、
「東海に浮かぶ蓬萊《ほうらい》・方丈《ほうじょう》・瀛洲《えいしゅう》の三仙山」
とあります。
仙山は、仙人が住む神の山。
武塙三山を、
わたしは写真でしか見たことがありませんが、
晩年の三山は、飄々として、
どこか仙人をほうふつとさせます。
沈約の「遊沈道士館」の詩からいっても
武塙さんには「三山」が似合っていそうです。

 

・梅雨の朝台湾栗鼠の駆け抜けり  野衾

 

今度はリス

 

先日ベランダにタヌキが現れたことを書きましたが、
今度はリス。
リスといっても、
少し大ぶりの台湾栗鼠。
少々状況を説明すると。
わたしが住んでいる建物は、山の上の崖っぷちにありまして、
電柱が、下の道路の端からにょっきり立っています。
そのてっぺんが、
我がベランダの三メートルほど横。
早朝、
四時半ぐらいでしたか、
なにやら動いた、と見えたので、
よく見てみると、
明らかに台湾栗鼠。
電柱に絡みつく電線をツツー、ツツー、ツツー。
はるか向こうの電柱へ移動。
まるでサーカスの綱渡り。
そこからさらに方向を変え、
つぎの電柱へ向かい電線を這っていく。
それを四度繰り返して茂みの中へ。
と、
こんどは先ほどのものに比べ小さめの台湾栗鼠。
子どもでしょうか。
まえのリスにならうかのように、
ツツー、ツツー、ツツー。
そして最後は茂みへと。
鳴き声はといえば、
ゲクゲクゲク。
あまり色気がない。

 

・電線を台湾栗鼠の走る夏  野衾

 

二種類の旅

 

はじめて外国を訪れたのは、二十六歳のとき。
韓国でした。
あれから三十七年。
韓国を皮切りに、タイ、インド、インドネシア、中国、アメリカ。
インドがいちばん多く五回。
中国とアメリカが二回。
ん。
そうか。
インドに行く時は、
行きも帰りもバンコクに寄ったから、
滞在期間は短くても、
回数でいえばいちばん多い。
春風社を起こしてからは、一度も日本を離れていません。
しかし、
このごろは、
本を通して時の旅をしているような。
いまは、
紀元前のギリシャ、世界史にイエス・キリストが出現したころのパレスティナ、
また、紀元前の中国へ。
空間の移動による旅はたしかに、
さまざまなこと思い出す桜かなでありますが、
時間の移動による旅は、
体を現在に置いていればこそ、
それだけ一層、
微細なところまで感じ分けられる気もします。
かつて、
詩人の飯島耕一さんからご高著の謹呈に与ったとき、
見返しに、
「江戸に留学していたことの成果」
と書かれてあり、
なるほどと思いました。

 

・N’EXと指差す声を通り雨  野衾