「私淑」について

 

この仕事をしていなければ知らなかったかもしれない、
知っていても、
正確な意味までは調べなかったかもしれない
と思う言葉がいくつかありまして、
そのひとつが「私淑」
広辞苑の説明によれば、
「[孟子(離婁下)](私(ひそか)に淑(よ)しとする意)
直接に教えを受けてはいないが、その人を慕い、その言動を模範として学ぶこと。
直接教えを受けている人に対しては「親炙(しんしゃ)」という。」
直に接しているかどうかの違いが分かれ目のこの言葉、
まちがえて使っているひとが少なくなく、
大学の先生たちの書く原稿にも少なからず見られます。
初校ゲラを精読する際に
それと気づきますから、
まちがえて使っていると思われれば、
鉛筆でそのことを指摘するようにしています。
詩人の田村隆一のものに、
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか」
と始まる詩がありますが、
そう感じるときもたしかにあります。
言葉を知ったために
いたく傷つくことがあり、
言葉なんかおぼえるんじゃなかったと不貞腐れる一方で、
意味を知ることを積み重ねることにより、
こころも学も深く、また高く、
視界が広がると感じられることもあり、
そんな日はありがたい。

 

・空山は人語の絶えて朧かな  野衾