恐るべき無智

 

いわゆる理論などというものは、
ソクラテスのいう最も大切なものを忘れているのに、
あらゆることを解決し得るかのように自負している点で、
無智の最大なるものと呼ばれるであろう。
最良の理論は、
われわれの無智についての、
自覚と反省から生まれて来るものでなければならない。
神のみが智なのであって、
人間に許されているのは、むしろ愛智なのである。
われわれは
自他の言行を吟味しながら、何かそれらを根本において支配しているものが、
いつわりの善を信ずる恐るべき無智ではないかと、
絶えず目をさましていなければならない。
ソクラテスの問答は、
このような目的のためになされるのであって、
単なる概念定義のためになされているのではない。
(田中美知太郎『ソクラテス』岩波書店、1957年、p.179)

 

テレビを点けても、パソコンを立ち上げても、
たいへんなことが起きていると知らされ、
落ち着いて考えようとするのですが、
こころは勝手にざわざわと騒ぎはじめます。

 

・岩ぐくる水に聴き入る春の山  野衾