行不由徑

 

行(ゆ)くに徑(こみち)に由(よ)らず
これは、
漢学者・諸橋轍次さんの好きな言葉だそうですが、
このことばに盛られている考え方は、
生き方はもとより、
読書においても貫かれているようです。

 

すべて文献をもととする学問は国文学でも英文学でも同様だと思うが、
まず読む力をつけることが大道を歩むことである。
また同じ読むにしても、
普通に読まなければならぬ本をまず読むことが大切だ。
漢文学にはその普通に読まなければならぬ本が非常に多い。
四書五経をはじめ、
史記でも漢書でも唐詩選でも三体詩でもそれは決して一通りではない。
いたずらに人の知らぬような珍しいもののみをあさって
一時博識の誉を得ることはあっても、
それは決して将来の基礎を確保するゆえんではない。
だからまわり遠くとも踏むべき大道は踏んで歩けと、
これが私の学生に臨(ママ)んだ要求であった。
(諸橋轍次『誠は天の道』麗澤大学出版会、2002年、pp.252-253)

 

・壺焼を口窄(すぼ)ませて啜りけり  野衾