人情の教え
キリスト教徒の数は、日本人全人口の1パーセントにも満たないといわれています。
この数字が多いか少ないか。
キリスト教に対して違和感をもったり、
それを表明したりする人も少なくありません。
なんとなく分かる気もします。
日本人にとってキリスト教とは何か。
キリスト教について、
いろいろな人がいろいろなことを話し、書いていますが、
新井奥邃のことばに
「キリスト教は人情の教へなり」
があります。
キリスト教をいわば定義し、
ひとことで「人情の教え」と言い切った人を、わたしはほかに知りません。
ここに一冊の本があります。
佐藤利明[著]『みんなの寅さん from1969』。
そのなかの第27作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』について書いた文章に、
つぎのような箇所があります。
瀬戸内海の小島。のどかな昼下がり、広島県呉市豊浜町小野浦で、
寅さんがあんパンと牛乳で昼食をとっています。
そこで寅さんは、ブラウス姿の美しい若い女性と出逢います。
墓参をしている彼女を、未亡人とカンチガイした寅さん、
その女性とことばを交わします。
何気ない旅先でのひととき。
こういうときの寅さんは、カッコいいです。
相手に深く立ち入ることもなく、そっと寄り添って、同じ空気のなかに佇んでいる。
そんな感じがします。
(佐藤利明[著]『みんなの寅さん from1969』アルファベータブックス、
2019年、p.389)
わたしは根っからの寅さんファンではなく、
いわば、遅れてきたファンではありますが、いまではすっかりファンになりました。
なぜ、いまそのことをここで開陳するかというと、
キリスト教に近づき聖書を読む自分と、
『男はつらいよ』を観て腹から笑い、身につまされ、目頭を熱くする自分が、
どこでどう結びついているかが自分でもよくわからなかったからです。
ところが、佐藤利明さんの本を読み、
奥邃の「キリスト教は人情の教へなり」がピン!
と頭に浮かびました。
そうか。人情。ひとのこころ。
ひとの幸せをひたすら願うことをおのれの幸せと感じる感性、
深くは立ち入らないけれども、
そのことを祈り、佇む。
奥邃の「愛敬して遠立すべし」ということばも、
人情ということから理解すると分かりやすい気がします。
・日を浴びて道行くひとを石蕗の花 野衾

