資料と記憶

 このところ、われらが武家屋敷がデカい紙袋を持ち歩いているので、あやしからんと思い、尋ねたら、資料なのだという。
 「何の資料よ?」
 「ホームページのコラム用」
 「はぁ?」
 「週番で書くコラムのためのものです。今週はわたしが当番なので…」
 「なるほどねえ。さすが武家屋敷! そんで今日はなにを持ち歩いているわけ?」
 「野毛で買った文庫本やら大学の宣伝用パンフレット、チラシ類などです。記事を書くとき、固有名詞など間違えてはいけませんから」
 というわけで、おそらく今日も武家屋敷はあのデカい青い紙袋を下げて出社するのであろう。わたしの場合、このコラムを家で書いているので資料を持ち歩く必要がない。というよりも、手持ちの資料で足りることしか書かない。さらに、それも面倒くさいときは、探せばあるはずのものでも「手許に資料がないので」といってお茶を濁す。言葉というのは便利だ。有難い。あるものでも、無いといえば無いのだから。
 ところで、「最高エッチ!」が特集の「春風倶楽部」(No.10)が好評。佐々木幹郎、谷川俊太郎、岸田秀、飯島耕一の各氏が抱腹絶倒、かつ、身につまされる記事を書いてくれている。欲しい方は小社へご一報ください。

17分32秒

 寝酒の代わりに好きなCDを掛けて布団に入ることがある。子供じゃないけど寝る前にかけるから、子守歌のようなものだろう。この頃よく掛けるのは、ピンク・フロイド『ECHOES』の2枚目(『ECHOES』は2枚組)。1曲目に入っている「SHINE ON YOU CRAZY DIAMOND(Parts1-7)」がとても気持ちよく、時間も17分32秒と長めだから、この曲が鳴っているあいだに眠りに就くことが多い。
 ところが、昨日はどうしたわけか1曲目が終っても眠られず、次の「TIME」に入ってしまった。これは、かの有名な『DARK SIDE OF THE MOON(日本語タイトル:狂気)』に収録されているもので、目覚し時計のけたたましい音で始まるとても心臓に悪い曲だ。
 うとうとしかけていたら、ジリリ〜〜ン! キンコンカンコン、チクタクチクタク… と来た。これ、本当に心臓に悪い。すっかり目が覚めてしまった。が、電気ショックみたいな効果があったのか、「TIME」が終る前にどうも眠ったみたい。夏目漱石の小説に、主人公がどの瞬間に眠りに入るか確かめようとして眠れない、という話があったような…。

Tendon?

 このごろになってやっと冬らしく寒くなり、なんかあったかいもの食べたいなーで、鍋焼きうどんを食べに太宗庵へ行った。
 昼どきのこととて、いつものように客でごった返している。わたしは予定通り鍋焼きうどんを、武家屋敷はたぬきソバ定食(ご飯少なめ)を注文。待つこと10分、あつあつの鍋焼きうどんとご飯少なめのたぬきソバ定食が運ばれてきた。少なめにしてもらったご飯をさらに武家屋敷は半分わたしにくれた。食べる量を気にしているようだ。
 前日オランダから旧友上田聡が帰国し、久しぶりに一献傾け大いに盛り上がり朝の2時まで飲んだ。気の置けない友と酒を飲むことほど楽しいことはない。が、胃は弱る。卵入りの鍋焼きの汁が胃の腑に染みてゆく。
 と、わたしの後ろにいた客に料理を運んできた女将さんが「天丼? いいですくゎ?」と言った。「ん?」と耳を疑った。いつもなら「はい天丼。お待ちどうさま」と言うはずなのに。それに、書き言葉ではなかなかニュアンスを伝えにくいが、「天丼? いいですくゎ?」は、“Tendon?” “iidesukwa?”と聞こえる。つまり、“イズ ゼサ ペン?”のような感じ。あやしからんと思い、体をねじって後ろの客を見たらフォリナーだった。納得! そうか、外国人だから、女将さん気をつかって「天丼」でなく“Tendon?”、「お待ちどうさま」の代わりに“iidesukwa?”と言ったのか。
 鍋焼きうどんを平らげ、サービスでいただいたお新香をつまみに武家屋敷からもらったご飯も腹に収め、気持ちまでなんだか福福した。
 レジで御代を払うとき、女将さんに“Tendon?” “iidesukwa?”のことを訊いたら、顔を紅くし恥ずかしそうにした。無意識の気遣いだったのだろう。

ギリギリの帯

 帯っていっても着物の帯じゃなく本の帯、腰巻、腰紙ともいう。本に関わる仕事をしていれば別に説明を要しないだろうが、一般的には聞き慣れない言葉だろう。いろいろサイズはあるけど、本のカバーのそのまた上に幅5センチから10センチくらい(たまに15センチくらいのもある)の紙が巻かれている。アレが帯。本のタイトルとは別に、その本がいかに魅力的かを伝える惹句をのせたり、著名な人から推薦文をもらい、のせたりする。
 さて、先日『大葬儀』というとんでもない漫画について、ここで感想を述べさせてもらったが、もっとほかのも読んでみたいという切なる欲望がふつふつともたげてきて、2冊買った。『踊る!クレムリン御殿 空想科学ソビエト社会主義共和国連邦漫画』(平和出版)と『喜劇 駅前虐殺』(太田出版)がそれ。タイトルからしてぶっ飛んでいるが、もっと驚いたのは帯!
 まず、著名人絶賛!? とゴチック体で書かれている。こんな漫画(失礼! だって、ぱらぱらめくっただけで、いいのこんなこと書いてというぐらい、パロディーがきついんだもん。コルホーズ図解なんてあるけど、笑いすぎて涙涙涙!)に誰が推薦文を寄せているのだろうと思いきや、
 スターリン「おもしろい!ハラショー!!」
 レーニン「革命家のバイブルだ!!!!」
 トロツキー「頭が痛い…」
 ゴルバチョフ「この本さえあればソ連は解体せずに済んだものを!」
 エリツィン「もっと酒よこせ!」
 ガガーリン「宇宙に行く時は必携の書だね」
 シベリアンハスキー「ワンワンワン!」
 シベリアンハスキーってなにさ。ね、凄いっしょ。これ、ロシアから苦情来ないのかな。以前、企画で『ハムラビ法典』を出そうかって若頭ナイトウと話し合ったとき、その帯には絶対ブッシュの推薦文が欲しいねってことになった。どういう文面かといえば、「目には目を!歯には歯を!」その考えを本当にやったのがこの漫画といえる。勇気をたたえたい!
ハラショー!!

涙涙涙

 知人からチケットをいただいたので「青山学院大学グリーンハーモニー合唱団第50回記念定期演奏会」(タイトル、長い!)を聴きに行く。
 会場に着いたのが遅く、すでに第三部が始まっていた。が、モーツァルトの「レクイエム」は好きな曲だし、美しいハーモニーに感動。やはりナマは違うと思った。
 アンコールは中島みゆきの「時代」、わたしが高校二年生の時、文化祭のテーマソングが「時代」だった。懐かしさと合唱で歌われる歌の新鮮さに目頭が熱くなる。30年はなかなかの時間だったなあと。
 最後の讃美歌405番「かみともにいまして」には心底やられた。二番の歌詞「荒野(あれの)をゆくときも、あらし吹くときも」のところ、もう、あられもなく鼻水まで垂らして泣いた。320番と405番がおらの一番好きな讃美歌だからだ。405番の作詞者のジェルマイヤ・E・ランキン牧師は、英語の“Good bye”の語源が“God be with ye(you)”であることから、この詞を作ったのだという。
 最初から聴けたらどんなによかったろうと悔やまれた。来年は、なにをさておいても最初から聴きたい。
 にしても、涙もろさの度が増したようで、気になった。いくらなんでも、前はあんなに泣かなかったのに…。これもいわゆる老人力か。

肩凝り

 根が勤勉(こればっか)なので、土曜日でも一人会社へ出勤、仕掛かりの原稿の校正に励む。
 出力した紙に朱を入れる場合と、直接パソコン画面に向き合いながら直していく場合がある。原稿の種類にもより一概にはいえないが、直しの箇所が多い場合、パソコン画面に向かい直接のほうが効率的なときもある。
 休日は本当に静かで、電話も鳴らない。留守番設定にしてあるから、鳴っても出ないことが多い。音楽は掛けたり掛けなかったり。たまに近くの電柱にとまった鴉が鳴いて振り向く(わたしは窓ガラスに背中を向けて仕事をしているので)ぐらいだ。
 予定通りとまではいかなかったが、だいぶ頁がすすんだ。同時に右肩が相当凝った。休日、誰もいないオフィスでカタカタキーボードを叩くのは、アメリカ映画のワンシーンみたいで悪くない。背中から差す明かりが変わり、振り向けば、夕陽が紅く輝いてビルの谷間に落ちていこうとしている。家に帰ったら、読み掛けのヒューバート・セルビー『ブルックリン最終出口』を読もう。
 と、「ごめんください」
 「はい」
 「伊勢佐木町の○○といいます。昼の弁当をつくっています。こちらでは昼食はどうされていますか」
 「弁当持参の者と外食の者と半々ぐらいですかね。わたしは外食組です」
 「試食だけでもいかがでしょうか」
 「いいですよ」
 「ありがとうございます。それでは月曜日、お昼12時までにお持ちします。ちなみに月曜日の弁当は焼肉定食です。試食はもちろんタダですが、弁当は日替りでお値段は500円、ダイエットコースだと550円です。よろしくお願いします」
 おばさんが部屋から出て行き、わたしの気分はニューヨークからいきなり「焼肉定食」の純日本風へ引き戻された。それから2時間、肩凝りで右肩が上がらなくなるまでキーボードを叩き、ニューヨークのことはすっかり忘れ、ブラインドを下ろし、電気系統のスイッチを確かめ、何事もなかったかのように会社を後にした。

ウスキの小ビン

 夜、いつものようにコットンクラブで飲んでいたら、存在感おらおらの男がふらりと入ってきた。蓬髪の頭、赤銅色の顔に深い皺が何本も刻まれている。真っ赤な防寒具は似合っているのかいないのか。
 ぼくはもう相当出来上がっていたから、カラオケでイルカの「なごり雪」なんかを歌った。すると、男が指笛をピピー!と鳴らした。あ、どうもどうも…。
 「俺も歌っていいかな」と、強い訛りのある言葉で男がママにいう。
 「どうぞどうぞ、なにを歌いますか」と、ママ。
 「ウスキの小ビン」
 「え?」
 「みなみらんぼうのウスキの小ビン」
 「ウスキの小ビン?」
 「ウスキの小ビン」
 「ウスキの小ビン?」
 「ウスキの小ビン」
 「ウスキの小ビン、ですか?」
 「ウスキの小ビン」
 「ウ・ス・キの小ビン、ですね」そういうとママは、「みなみらんぼう」で検索をはじめたようだった。
 「みなみらんぼうでは出てないですね」
 「ウスキの小ビン」男はまだ言い張っている。言い方を換えようとしない。
 「ママ、きっと、ウィスキーの小瓶だよ」と、わたしは小声で告げた。
 「そうかそうか」と、今度は曲名で検索したが、結局「ウィスキーの小瓶」はカラオケに入っていなかった。ママが何度聞き返しても、頑として言い方を換えない男のことが少し気になりはじめていた。
 「すみません、このカラオケには入っていないようです。ほかの歌はどうですか?」
 「河島英五のてんびんばかり」
 「河島英五のてんびんばかりですね」
 青の画面がカラオケ画面に替り、ピアノ曲のイントロがゆっくりと流れる。初めて聴く歌でも、いい歌はだいたいイントロでわかるものだ。男は圧倒的な歌い方で、ママと凉子ちゃんとわたしを金縛り状態にしてしまった。どんな風に歌っているのだろうと気に掛かり男の顔を見た。眉根を寄せ泣いているようにも見えたが、声がしっかりしているから泣いてはいなかった。それにしても、河島英五にこんな歌があるとは知らなかった。「酒と泪と男と女」をはじめ、よく酒を歌った河島は、平成十三年四月十六日、四十八歳の若さで亡くなっている。肝臓疾患だったそうだ。
 男はもうそれ以上歌わなかった。酔客がどやどやと入ってきて、次々カラオケの歌が入り、だれも男を気に留めない。男は頃合を見計らい、そそくさと席を立ち店を出て行こうとした。ママが入口まで見送ると、男は、はにかむようにして「また寄らせてもらってもいいですか」といった。「どうぞどうぞ、あの歌をまた歌ってください」
 昨日、横浜駅西口のタワーレコードに寄って河島英五の「てんびんばかり」の入っているCDを買った。家に帰りさっそく聴いてみたが、男が歌った「てんびんばかり」のほうが真に迫っていたと思われた。男の歌をナマで聴いたからかもしれない。ママから聞いた話では、男は与論島出身なのだそうだ。
 ところで、男が最初に歌おうとした、みなみらんぼうの「ウィスキーの小瓶」とはどんな歌なのだろう。気になる。