ウスキの小ビン

 夜、いつものようにコットンクラブで飲んでいたら、存在感おらおらの男がふらりと入ってきた。蓬髪の頭、赤銅色の顔に深い皺が何本も刻まれている。真っ赤な防寒具は似合っているのかいないのか。
 ぼくはもう相当出来上がっていたから、カラオケでイルカの「なごり雪」なんかを歌った。すると、男が指笛をピピー!と鳴らした。あ、どうもどうも…。
 「俺も歌っていいかな」と、強い訛りのある言葉で男がママにいう。
 「どうぞどうぞ、なにを歌いますか」と、ママ。
 「ウスキの小ビン」
 「え?」
 「みなみらんぼうのウスキの小ビン」
 「ウスキの小ビン?」
 「ウスキの小ビン」
 「ウスキの小ビン?」
 「ウスキの小ビン」
 「ウスキの小ビン、ですか?」
 「ウスキの小ビン」
 「ウ・ス・キの小ビン、ですね」そういうとママは、「みなみらんぼう」で検索をはじめたようだった。
 「みなみらんぼうでは出てないですね」
 「ウスキの小ビン」男はまだ言い張っている。言い方を換えようとしない。
 「ママ、きっと、ウィスキーの小瓶だよ」と、わたしは小声で告げた。
 「そうかそうか」と、今度は曲名で検索したが、結局「ウィスキーの小瓶」はカラオケに入っていなかった。ママが何度聞き返しても、頑として言い方を換えない男のことが少し気になりはじめていた。
 「すみません、このカラオケには入っていないようです。ほかの歌はどうですか?」
 「河島英五のてんびんばかり」
 「河島英五のてんびんばかりですね」
 青の画面がカラオケ画面に替り、ピアノ曲のイントロがゆっくりと流れる。初めて聴く歌でも、いい歌はだいたいイントロでわかるものだ。男は圧倒的な歌い方で、ママと凉子ちゃんとわたしを金縛り状態にしてしまった。どんな風に歌っているのだろうと気に掛かり男の顔を見た。眉根を寄せ泣いているようにも見えたが、声がしっかりしているから泣いてはいなかった。それにしても、河島英五にこんな歌があるとは知らなかった。「酒と泪と男と女」をはじめ、よく酒を歌った河島は、平成十三年四月十六日、四十八歳の若さで亡くなっている。肝臓疾患だったそうだ。
 男はもうそれ以上歌わなかった。酔客がどやどやと入ってきて、次々カラオケの歌が入り、だれも男を気に留めない。男は頃合を見計らい、そそくさと席を立ち店を出て行こうとした。ママが入口まで見送ると、男は、はにかむようにして「また寄らせてもらってもいいですか」といった。「どうぞどうぞ、あの歌をまた歌ってください」
 昨日、横浜駅西口のタワーレコードに寄って河島英五の「てんびんばかり」の入っているCDを買った。家に帰りさっそく聴いてみたが、男が歌った「てんびんばかり」のほうが真に迫っていたと思われた。男の歌をナマで聴いたからかもしれない。ママから聞いた話では、男は与論島出身なのだそうだ。
 ところで、男が最初に歌おうとした、みなみらんぼうの「ウィスキーの小瓶」とはどんな歌なのだろう。気になる。