お線香

 先日、多聞君とたがおも出演した口琴ライブを聴きに行ってきた。
 保土ヶ谷橋の交差点、改装したラヤ・サクラヤさんの、大きなかまくらのような部屋には、演奏者と客席のあいだに何本ものロウソクが灯り、幻想的な雰囲気がかもし出されていた。眼を閉じて聴いていると、これまでに訪れた土地の風景ばかりでなく、まだ見ぬ土地の山や木々までもが瞼に浮かんだ。
 演奏途中でこっそり眼を開けると、そうかここは横浜か、と現実に引き戻されたが、眼を閉じればまた夢に戻れるようで、閉じたり開けたりして遊んだ。
 さて、そのライブの報告を多聞君が書いているが、多聞君がアガリ症とは知らなかった。というか、彼はそういうこととは無縁の人かと思っていた。初めて会う人に取り囲まれ質問されても、淡々と自分の考えを的確に言葉にできるし、また、聞いていてなるほどと思える話をするから、凄いなあ、俺の若い頃と全然違うなあと思ってきた。でも、本人にしてみれば、そうではなかったということかも知れない。
 ぼくがこれまでの人生で一番アガッたのは、中学二年生の時。生徒全員から恐れられていた教頭先生(宿題を忘れて来たり、授業中ちょっとでもうるさくすると、生徒の耳を引っ張った)が病気で亡くなり、ぼくは生徒代表ということで葬儀に出席。祖父母がまだ元気な頃で、ぼくは、そんな大きな葬儀に出たことがなかったから、何をどうしたらいいのか、さっぱり見当がつかなかい。緊張しながらゆっくり弔辞を読んだまでは良かったが、それであまりに安堵したためか、はたまた、一挙手一投足が会葬者の目に晒され、自分の体が自分でなくなっていたせいなのかは定かならねど、とんでもない失態を犯してしまった。
 お線香に火を点け、フッと息を吹きかけ、消した。あ、これはこうするんじゃなくて、手のひらでササッと煽いで消すんだったな、ちょっぴり焦った。それがイケなかった。
 動揺したものだから、お線香の煙が出ているほうの先をグワッと灰に突っ込んだ。哀れお線香はただの長い爪楊枝と化し煙がプスと出ただけで、後は、うんともすんとも。前を見たら、遺影の中で恐い教頭先生は意外にも笑っていたが、よく見ると、目が笑っていない。もうぼくは教頭先生に耳を引っ張られたような気がして、ボッボと両耳を熱くした。
 アガる、どもる、緊張する、赤面する、などの話を聞くと、ぼくはいつもあの時のお線香を思い出す。