アジョッシ

 かつて横須賀の高校に勤めていた時の同僚で先輩のK先生が韓国から帰ってきたので、横浜で待ち合わせ旧交を温める。
 横浜駅西口の交番前、ひとでごった返す場所で待ち合わせたのだが、K先生めざとくわたしを見つけ、サッと手を上げた。中華の店に向かう途中、先生はヨドバシカメラに寄り、韓国語の辞書が入った最新式の電子辞書を買った。日本語の電子辞書と韓国語の電子辞書を今は併用しているが、今回、それが一つになったという情報を聞き、前から欲しかったのだという。店員に詳しく尋ねる先生の姿は少年そのもの。商品を袋に入れてもらいヨドバシカメラを出たら、「こんな便利なものをつかわない手はないよ三浦さん」と煽られた。
 K先生は国語の教師をしておられたが、定年まで3年を残し高校を辞め、独学で学んだ韓国語を生かし、韓国の東国大学に見事入学、大学院で仏教を勉強している。大学裏手にある日本円で4万5千円の下宿に住み、朝と夜は下宿屋のおばさんがつくってくれるご飯を食べ、あとはひたすら勉強。学費はすべて奨学金。
 食事どきになると「アジョッシ、ご飯よ」とおばさんが声をかけてくれる。アジョッシとはおじさんのこと。若い学生に混じり勉強するK先生をおばさんはアジョッシと呼ぶらしい。
 2年間、K先生は勉強に明け暮れた。休日、一緒に住んでいる学生たちが出かけ、おばさんも用事があって外出した時など、届く郵便や荷物があればK先生が受け取ってあげる。
 「本当によく勉強しました。自分の好きなことをするのがこんなにも楽しいかと思った。カネなど要らない。つかう場面がないもの。高校に勤めていた時、天職と思ってそれなりに楽しく頑張ってやっていたけど、今から思えば、生徒になんであんな叱り方をしたのだろう、進路について、クラスのあり方について、ああしなければいけない、こうしなければいけないと、どうして考えていたのか不思議です。気付かぬうちに囚われ縛られた考え方をしていたんだろうね」
 K先生は、日本で修士論文を書き上げるために戻ってきた。日本語では、ほぼ出来ているのだという。韓国語に翻訳してから提出するとのこと。さらに博士課程にすすんで勉強したい気持ちもあるが、家族のこともあるから先のことはわからない、云々。と言いながらも、K先生、表情がさっぱりしている。元気溌剌。
 今回、帰国することになった数日前、下宿屋のおばさんが朝の食事に新しいキムチを出してくれ、「アジョッシ、どう、味?」と訊いてきたそうだ。K先生、ピーンと来たから、言葉少なに「美味しいよ」とだけいった。そうしたら、案の定、日本へのお土産に持って行きなさいという。「おばさん、おれ、もうキムチ買ったからいいよ」と断ったが「いいからいいから持って行きなさい」と、キムチをはじめ浦島太郎よろしくたくさんの土産物を持たされた。「おばさん、こんなには持てないよ」というと、「それならこれに入れて持って行きなさい」と、ドでかいリュックサックを貸してくれたそうだ。結局35キロの荷物を持って帰ってくることになったとか。
 K先生から「韓国にいるあいだに社員旅行で来なさいよ、案内するから」と誘われ、すっかりいい気分になり元気をもらった。
 東国大学はソウル市内にある。アジョッシことK先生の元気は、もちろん好きなことをしていることからくるところ大だろうが、風水によってつくられた街ソウルの風水パワー、それと極辛キムチのキムチパワーによるところもあるのだろうと思った。