『オールド・ボーイ』の原作と映画

 原作よりも面白いと評判の映画『オールド・ボーイ』を観て来た。
 原作も映画も、主人公が、理由を知らされずに長く(原作では10年、映画では15年)監禁されることは同じだが、物語のテーマは大きく異なっている。これから観る人のために、それに触れることは差し控えなければならないが、ありきたりだけれど、別物と思って観ていいのではないかと思った。
 映画は2時間近く、ぐいぐい引っ張っていくから、やはり、よくできた映画だと思った。観終わって映画館を出た時、それまで疲れていた体も頭もシャキッとしたし。
 だが、原作では現代日本の東京が舞台になっていること、映画では韓国の都市(ソウル?)が舞台になっていることで、物語はおのずと違ってくる。
 映画では、監禁する側(イ・ウジン)もされる側(オ・デス)も、少年時代は、ちょっと変わったところがあっても(ウジンは写真が趣味の大人しそうな少年、オ・デスは少々ワル)、それほどではなく、どこにでも居そうなごく普通の少年として描かれている。かつて教室で起きたある事件(?)に関わっていなければ、監禁は起きなかっただろう。そのように映画は進むし、リアリティーもある。
 ところが原作では、監禁する側(柿沼)もされる側(五島)も、いわばモンスターだ。柿沼が冷酷無比なそれであれば、五島は、今の日本にこんな男いるのかよと思うぐらいのヒューマニスティックなそれ、二人とも現実世界にはあり得ぬぐらいの。つまり、監禁という事実を、映画では現実世界で起こり得るものとして描くために、重い事実を過去に設定せざるを得なかっただろうのに対し、原作では逆に、そんなことで10年も監禁するかよと思うぐらいに結末がショボい。小学校時代のそんなことを恨みに思って誘拐監禁してしまうなんてことがあってたまるか、と。しかし、そのショボさを補填しているのが二人の性格描写だ。また、そういうモンスターを生じさせてしまう何かが今の東京にあるということかもしれないが。
 それと、これは『オールド・ボーイ』に限らずだが、漫画には漫画特有の空気感とでもいったものがある。たとえば『オールド・ボーイ』の原作なら、不気味な柿沼を丁寧に描いてきて、ある時、柿沼が所有する船(柿沼は信じられないぐらいの大富豪になっている)の上、デッキチェアで寛ぐ柿沼を遠景で描いておいて、それから徐々にアップで描けば、吹き出しがなくても、あの不気味な表情(柿沼は生まれつき異様に鼻がデカい!)の裏にあるものを読者はいろいろ想像してしまう。その想像が楽しい。
 ということで、映画も原作も、ぼくとしては両方★★★★★だ。