資料と記憶

 このところ、われらが武家屋敷がデカい紙袋を持ち歩いているので、あやしからんと思い、尋ねたら、資料なのだという。
 「何の資料よ?」
 「ホームページのコラム用」
 「はぁ?」
 「週番で書くコラムのためのものです。今週はわたしが当番なので…」
 「なるほどねえ。さすが武家屋敷! そんで今日はなにを持ち歩いているわけ?」
 「野毛で買った文庫本やら大学の宣伝用パンフレット、チラシ類などです。記事を書くとき、固有名詞など間違えてはいけませんから」
 というわけで、おそらく今日も武家屋敷はあのデカい青い紙袋を下げて出社するのであろう。わたしの場合、このコラムを家で書いているので資料を持ち歩く必要がない。というよりも、手持ちの資料で足りることしか書かない。さらに、それも面倒くさいときは、探せばあるはずのものでも「手許に資料がないので」といってお茶を濁す。言葉というのは便利だ。有難い。あるものでも、無いといえば無いのだから。
 ところで、「最高エッチ!」が特集の「春風倶楽部」(No.10)が好評。佐々木幹郎、谷川俊太郎、岸田秀、飯島耕一の各氏が抱腹絶倒、かつ、身につまされる記事を書いてくれている。欲しい方は小社へご一報ください。