好悪を離れ

 大晦日なので、わたしなりに一年を振りかえり思ったことを書いて締めくくりたい。
 ひとのことが一番難しく面白く痛い。誉められればうれしいし、貶されれば口惜しい。皆最後は死ななければならないのに、なぜ細々したことに一喜一憂するのか。それでも時がたてば、喜も憂も薄れるから不思議。よく出来ている。薄れることは哀しく切なくもあるけれど、夕暮れのような甘さもある。
 先日、晶文社のKさんからいただいた図書新聞のコピーを読んでいたら、谷川健一さんがインタビューに答え、陸と海の境をなす渚が失われることは、昼と夜の境である夕暮れが失くなることにも似て、日本人の精神から暮色が失われることと同質だと語っていた。さもありなん。
 小津安二郎の映画に『東京暮色』がある。小津映画にしては珍しく暗い映画だが、あのキラキラ燃えるような命そのものとも思える有馬稲子演じる明子の眼は、命もろとも暮色の中に露と消えた。わたしが生まれた昭和32年公開の映画。
 理路整然と物を言うこと、臆せずにはっきりと物を言うこと、自説を強く主張することは大事だ。凄いと思う。自分の言ったことでも他人が言ったことでも、昼のそういう言葉を思い出しながら、夜、ひとりで酒を飲み、背景を考えてみる。昼、強い言葉を吐く人は、夜、どんな顔をして床に就くのだろう。泣くことはないのか。泣かぬほど乾いてはいないか。
 性のことは書くのが憚られるほど、やはり大きい。「はばかる」をはっきり「はばかる」と書けばいいのに「憚る」と、ちょっと読みにくい厳めしい字をつかって後ろに隠れようとする。これについて上手に書けるほどこころが発酵していないということなのだろう。
 死の直前、父に体を拭いてもらうとき、震える両手でまだ性器を隠そうとしていた祖父の痛々しい姿が目に浮かぶ。
 おカネか。これも、ひとの次ぐらいに難しい。いや、それで首を縊るひとも後を絶たないから、一番なのかもしれない。出来ることなら税金は払いたくない。コレ正直な気持ち。
 さて来年だ。疾風怒濤の年になるだろう。総合的直感(!?)がそう言わせる。疾風怒濤を乗り切るのか、くぐるのか、押し切るのか、その反対もあるから気をつけなければ。波乗りジョニーのように、遊びごころを失わず楽しみながら行こう。
 みなさま、どうぞよいお年を。そして、来年もよろしくお願いします。