根源的問い

 

「彼は私たちに、ある学問性の帽子をかぶらせようとしたのです
――しかも、真の学問性とはこうこういうものですといった、
全く特定の要求をつきつけるのです。
そこではほんとうに、《一切か無か》が問われるのです。
そこで私は彼に、友情をこめて、
しかもはっきりと
〈われわれはそういう要請はまったくのむことはできない、そうは行きませんよ〉
と言わざるをえませんでした。しかしそれは、
彼と私との間での興味深い対話でした」。
同じ問題をめぐるもう一つの対話の機会に、バルトは彼に、
神学は――イエス・キリストの死人の中からの復活に基礎をおくと言明した。
「その時彼は真剣に私を見つめて、こう言いました。
〈それは物理学と数学と化学のすべての法則と矛盾する。
しかし君が言おうとすることがやっとわかったよ〉と」
(エーバーハルト・ブッシュ[著]/小川圭治[訳]『カール・バルトの生涯』
新教出版社、1989年、pp.295-296)

 

はじめの「  」中のバルトの発言は、1963年10月12日に、
ゲッティンゲン大学の学生との対話において、
二つ目の「  」中のバルトの発言は、1964年3月2日に、
テュービンゲン大学の学生との対話においてなされたもの。
ふたつの発言は、
第二次世界大戦後のものであるが、
発言の中にでてくるエピソードは1930年の12月のこと。
「彼」とは、ハインリッヒ・ショルツ。
最初数理哲学者として出発したが、
のち次第に宗教哲学の領域で業績を出すようになった、とのことである。

 

・弥生尽日々の作法の匂ひけり  野衾

 

根のある人

 

われわれ人間は、二つの世界の間の放浪者である。
この世界では故郷を喪失し、あの世界ではまだ定着する家をもたない。
しかしまさにこのような放浪者として、
われわれはキリストにおいて神の子なのである。
われわれの生の秘密は、まさに神の秘密である。
神によって突き動かされて、われわれはため息をつき、
みずからを恥じ、恐れ、死ななければならない。
神によって突き動かされて、
われわれは喜び、勇気をもち、希望をいだき、生きることが許される。
神は根源である
(エーバーハルト・ブッシュ[著]/小川圭治[訳]『カール・バルトの生涯』
新教出版社、1989年、pp.173-174)

 

新井奥邃(あらい おうすい)に師事し、
奥邃が亡くなるまで身の周りの世話をしたひとに、
秋田出身の中村千代松がいましたが、
彼はジャーナリストとして、また政治家として活躍し、
著名な人々とのつきあいも少なくなかった
ようですが、
かれが書いた文章の中に、
偉い人もいたし、見てきたけれど、
奥邃先生に敵うひとは一人もいない、なぜなら、先生は根のある人だから、
というような文言がでてきます。
生きる上での根、とは何か。
『カール・バルトの生涯』の引用箇所から、
すぐに木公(もっこう)中村千代松の言葉を思い出しました。

 

・鶯の声の生まれて降りにけり  野衾

 

天に気象

 

鍼灸院に通い始めて十年ほどたち、
じぶんでも毎日灸をすえるようになったせいか、
以前に比べ、
体調が安定してきたように感じます。
それにプラスしてこのごろとみに思うのは、
よくも悪しくも、
日々の体調の、
少し大げさに言えば、
時時刻刻の微妙な変化を意識するようになったこと。
気にし過ぎはよくないけれど、
天気みたいなものかな、とも思います。
天気による体調の不具合をさす気象病というものも指摘されていますが、
天気の影響はもとより、
食べ物、飲み物、睡眠の質や時間、ストレスの有無、
等々、
さまざまなものから影響を受け、
いのちの気象とでもいいたいぐらい千変万化する
と見たほうがよくはないか。
そういう実感がありますので、
たとえば寺島良安の『和漢三才図会』、貝原益軒『養生訓』
なんかが、
しぶく光を放ってきました。

 

・ありがたき里山の今ぞ鶯  野衾

 

ボルヘスの耳

 

―――文学との最初の出逢いは、どのようなものだったのですか。
―――初めて読んだ本は、たしか英訳のグリム童話だったと思います。
実物を覚えているような気がしますが、しかしほかの本のものかもしれません。
学校や大学でより、父の図書室で学ぶことが多かったのです。
祖母のことも忘れるわけにはいきません。
祖母は英国人でしたが、聖書をそらんじており、
おかげで私は聖霊の手引きによって、
あるいは、
おそらく我が家で耳にした詩を通して、
文学の道に入ることができたというわけです。
(J・L・ボルヘス編纂/序文『新編 バベルの図書館 6』国書刊行会、2013年、p.631、
引用箇所は、1973年4月、
ブエノスアイレスの国会図書館で行われたものの冒頭部分。訳は鼓直)

 

引用箇所を読み、深く納得するところがありました。
聖書を読んできたこころからすると、
アウグスティヌスをはじめ、
たとえばトマス・アクィナス、ルター、カルヴァン、バルト(カールのほうの)などは、
おもしろいところ、教えられるところは
もちろんあるけれど、
どうしてあのような小難しい議論になるのかな
という気持ちが抜きがたくあったし、
いまも少し、いや、けっこう、あります。
聖書は、
耳で読む本か、という気がこの頃しますから、
ボルヘスのエピソードはとても面白く、
また、
ボルヘスがつくる詩や短編のこころに触れた気がします。

 

・鶯の声ほころびて青さかな  野衾

 

卒園式

 

世の中は、卒業式、卒園式のシーズン。
きのうは、いっしょに仕事をしているひとのお子さんの卒園式。
式後、
時間の都合で、
おかあさんに連れられしばらく会社に来、
入口付近の大きな木のテーブルに向かいちょこんと座り、
本を読んでいました。
その姿から、ふと思いました。
ああ、わたしは卒園式を経験していない。
というか、
幼稚園に行っていない。
なぜならば、
あのころわがふるさと井川村には幼稚園がなかった。
その後、幼稚園ができ、
三つ下の弟は幼稚園に通ったはず。
幼稚園はなかったけれど、
幼児学級というのがあって週に一度わたしはそこに通いました。
土曜日の午後、
小学生が下校してから小学校の教室を借り、
そこに集まっていたと記憶しています。
移行措置の期間だったのかもしれません。
それはともかく。
幼稚園がまだなくて、幼稚園に通っていないのに、
「いかわようちえんのうた」
というのを覚えています。
こんなの。
♪あおいおそら いかわようちえんみているよ…
メロディーもなんとなく覚えている。
弟が歌うのを聴いて覚えたか、
はたまた、
幼児学級に通っていたころ、
やがてできる幼稚園の歌を先取りして習い、歌ったものか、
その辺のことは深い霧のなか。

 

・鶯や里山息の深くなる  野衾

 

赧の字の怪

 

白川静の『漢字の体系』は、白川さんのいわば遺言のような本なので、
ゆっくり味わうように読んでいるわけですが、
ときどきハッとするようなことが書かれていて目をみはります。

 

ゼン(「赧」の字の旁、右側、入力しても出てきません)
陰部に手(又[ゆう]は手の形)をさし入れる形。
赧[タン]はその行為を受けて赧[は]じ入る形。
このような字が生まれるのは、
そのような行為が一般的に行なわれていたからであろう。
(白川静『漢字の体系』平凡社、2020年、p.275)

 

ということですが、
中国人もこれを知ったら驚くんじゃないでしょうか。
驚くだけでなく、受け入れないかもな。
許慎の説文解字には、そんなこといっさい書かれてないし。
あやしい人が言うならともかく、
白川さんが言うんだから、
それなりの根拠があるんでしょう。
いやはや。
こんなことまで漢字にしてしまうのか。
恐るべき漢字の世界。

 

・鶯の声や枝葉の揺れてをり  野衾

 

我が言ならず、とは

 

キリスト者・新井奥邃(あらい おうすい)は、
自分の文章の終りに「我が言ならず」と書くことがありました。
自分で書いた文章なのに「我が言ならず」
自分の言葉でない、
というのはいかにも矛盾ですが、
たとえばモーツァルトが、聴こえてきた音を書き留め曲づくりに励んだように、
奥邃も、
聴こえてきた言葉を書き留めた、
ということだったかもしれません。
わたしは、
そういう感覚を覚えたことはありませんが、
ふと思いついた言葉を書き留め、整序し、届けることで、
予期せぬ言葉をかけていただくことがあり、
あとから考えて、
あの時あの言葉を思いついたのは、
あれはわたしだったのかな、
と不思議に思うことはあります。
言葉を知り、本を読むことで、いのちある言葉が種となって体と心に落ち、
自分でも知らないうちに発芽し、
ハッと気づく、
そんな感じかな。

 

・ここだいま工事現場の空や春  野衾