『老アブー』

 

昨年12月に弊社から刊行された『老アブー』は、
2019年にフランスで出版されたナタリー・ド・クルソンさんの小説の日本語訳。
訳者は、高井邦子さんと大野デコンブ泰子さん。
老いて認知症になった父を5人の子供たちが世話します。
国はちがえど、
そこに展開される悲喜こもごもは、ふへんてきな問題を扱っているといえます。
子供たち5人のやりとりがメールで行われるあたり、
まさにいまの時代であることが分かります。
この小説を読みながら、ふと、
小津安二郎監督の映画『東京物語』を思い出しました。
尾道から上京する老いた両親と家族たちの姿から、
親に対する子供たち、戦死した次男の妻、
それぞれの性格、人となりがあぶり出されてくる映画でした。
親に対する子供のこころというのは、
なかなかひとすじなわではいかないようです。
きのうの読売新聞に書評が掲載されました。評者は、
作家の宮内悠介さん。

 

・春愁や厚き雲より飛行船  野衾

 

コンクリートの割れ目から

 

わたしの住んでいるところは山の上にあり、会社も紅葉ヶ丘の高台にありますから、
ゆるい坂道を歩くか、
ショートカットして階段を上り下りするしかありません。
だいたい階段を上り下りします。
このごろようやくぽかぽかとあたたかくなりまして、
あ、こんなところに桜の木、あそこにも。
そうなると、
一歩一歩がたしかになるようで、
たのしくもあり。
ふと見ると、コンクリートの割れ目から小さな緑が萌えでています。
しゃがんでさらに見てみると、
小さな小さな白い花をつけています。3ミリ、
3ミリもないぐらいのものもあり、
なんという名の花だろう。
見れば、ちょっとした割れ目から、いくつもいくつも。
桜木町駅から歩くと、
会社へ行く途中に小学校がありますが、
その横の階段の割れ目からも同じ緑と白い花が萌えでていました。
気になりパソコンを立ち上げ画像検索。
「コンクリートの割れ目 小さい花 3ミリ」
ヒナキキョウソウ、アリッサム、ヒメヒオウギ、…
いくつかヒットしますが、
わたしが見たものとちょっとちがっている気もします。
こういうとき、いつも思うことながら、
ま、いっか。名前を知らなくても
ちゃんとそこに根を張り花を咲かせていることは事実なんだから…
エリナー・ファージョンさんの『ムギと王さま』
に「名のない花」というのがあった
のを思い出します。

 

・あてどなく野を行く果ての春愁ひ  野衾

 

『エドワード・トマス訳詩集』3

 

エドワード・トマス訳詩集』には「ふるさと」と題された詩もあります。
ふ・る・さ・と、とゆっくり声に出してみる。
くにはちがっていても、
そこに息づくいのちと風景へのまなざしに共感をおぼえます。

 

昔よく通った道だった。
でも今、ここ以外へは行ったこともなければ
行くこともできないように思えた。
ふるさとだった。ひとつの国民性を、
僕と歌う鳥たちは 共有していた。
ひとつの記憶を。

 

鳥たちは僕を歓迎してくれた。その晩
どういうわけか、どこか遠くから戻ってきた僕を。
四月の霧、冷気、穏やかさは
僕たちにとって 慣れ親しんだ心地よい
同じものを意味していた。よそよそしくはあったが、
垣根はなかった。

 

小道の樫の梢で、ツグミが
最後の、あるいは最後のひとつ前の歌を囀さえずった。
その歌が終わると、楡の梢で
別のツグミが、その最後の歌を
囀り始めた。彼らは僕と同じく
一日が終わったことを知らずにいた。

 

農夫がひとり、暗がりに沈む白い小屋の前を
歩いていった。その歩みは遅く、
半ばくたびれ、半ばのんびりとして見える。
静けさのなか 小屋から聞こえてきた
のこぎりを引く音が、沈黙の語ることすべてを
朗々とまとめあげた。
(エドワード・トマス[著]吉川朗子[訳]『エドワード・トマス訳詩集』
春風社、2015年、pp,186-188)

 

なんどか読み返しているうちに、道の曲がりや、光とか、ツグミの姿が目に浮かび、
うす暗がりのあたたかさがつたわって来るようです。
詩が、沈黙のひびきと
沈黙の語ることばを聞かせてくれるものであることを、
この詩は思い出させてくれます。

 

・春分の散歩の道と栗鼠と鳩  野衾

 

『エドワード・トマス訳詩集』2

 

エドワード・トマス訳詩集』のなかの「十月」も好きな詩です。
いくつかでてくる植物の名は、きいたことはあっても
ピンとこないものばかり。
画像検索をしてみて、ああ、あれかと気づく。
目にとまり、スマホで写真を撮ったものもありそうな。
いずれも野に咲く花々だ。

 

ただ一本金色に色づく太枝を持った 緑の楡の木が
草地に葉を落とす。一葉ずつ――
丈の短い丘の草、乳白色の小さなキノコ、
イトシャジン、マツムシソウ、キジムシロの咲く方へ
露に濡れたクロイチゴとハリエニシダが
光を浴びてうなだれる。風はあまりに弱く、
羊歯の上に落ちた樺の葉を 振り落とすこともできない。
蜘蛛の糸は自らの意志で漂う。
鳥の歩みより重たい足取りに、りすが小言をいう。
豊かな眺めは再び一新され、春のように
さわやかだ。肌寒いというよりは
見た目に暖かい。そして今 僕は
大地が美しく広がるように 幸せになれるだろう――
もし何か別の存在になれるならば。大地とともに暮らし
スミレとバラに代わるがわるなれるならば。
季節に従って イトシャジンやマツユキソウに、
いつでも楽しげなハリエニシダに、なれるならば。
たとえこれが幸福でないとしても――誰に分かろう――
いつの日か僕は思うだろう、これが幸せだったと。
もはや こうした気分が 憂鬱という名で
暗く曇らされることもないだろう。
(エドワード・トマス[著]吉川朗子[訳]『エドワード・トマス訳詩集』
春風社、2015年、pp,92-93)

 

読む時間。引用してキーボードを打つ時間。画像検索し、
名と花をあわせる時間。入力ミスがないか、
もういちど確かめる時間。そしてもういちど。
ゆっくりの時間が流れる。
「いつの日か僕は思うだろう、これが幸せだったと。」

 

・うららかや馬の毛並みも艶めきて  野衾

 

『エドワード・トマス訳詩集』1

 

『エリナー・ファージョン伝 夜は明けそめた』のなかに、
エドワード・トマスさんとの親交が
いろいろ記されていたので、
弊社から2015年に刊行された吉川朗子(よしかわ さえこ)さん訳の
エドワード・トマス訳詩集』を読み返しました。
トマスさんの詩を読むことで、
ファージョンさんがつむぎだした物語に新たな光が差してくる
ようにも思えます。
下の引用は「種蒔き」と題された詩。

 

種蒔きには
最高の日だった。地面は
煙草屑みたいに
心地よく乾いている。


遠くでふくろうが

そっと鳴きはじめてから
一番星が出るまでのひと時を
僕は深く味わった。


長く引き延ばされたひと時、

作業の済んでないところは
残っていない。早蒔きの種は
すべて無事に蒔かれた。


今こそ 雨の音を聞こう。

風のない軽やかな雨、
半ば口づけ、半ば涙のように
お休みを告げる 雨の音を。

(エドワード・トマス[著]吉川朗子[訳]『エドワード・トマス訳詩集』
春風社、2015年、pp,82-83)

 

詩を読む喜びというのがあります。詩はだいたい短いけれど、
たとえばこういう詩を読むと、
ほかの本では得られない、しずかな感動がわいてきます。

 

・俯きてまた来て見上ぐ桜かな  野衾

 

『歌集 君も唄へよ』

 

ふるさとのおさななじみ三浦政博さんから歌集を贈られた。
政博さんはわたしより三つ下。実家は歩いて三分ほどのところにある。
歌集をいただいてすぐに読み、
また、家に持ちかえり、じっくり読みかえした。
まえがきに「春愁の頃」と題し、
母校井川中学校での教育実習のエピソードがつづられている。
その文章に、
政博さんのあたたかさ、やわらかさ、やさしさの、
こころの襞がきざまれているようで、
ああ、政博さんは、教師を通して、歌人になるべくしてなったのだなと思った。

 

職員室隅の実習生机に戻り、
部活動で気を発している生徒達の様子を窓から眺めながら
二週間分の複雑な余韻に浸っていた放課後、
教務主任の小熊正明先生が私の前に立たれ、一冊の本を差し出された。
拝受し表紙を見ると『歌集・季のうた』とあった。
小熊先生ご自身の歌集だった。
中学の頃から韻文には興味関心があり、
実習の前年に亡くなった寺山修司の歌集『空には本』『田園に死す』
の世界観に惹かれていた頃でもあった。
短歌うたを詠まれる先生、
しかもご自身の歌集なんて凄いなあと感動しつつパラパラ眺め
数首に目を通しているうち、
知らず、
生徒や家族へ注ぐ小熊先生の繊細で優しく暖かな眼差しによる短歌うたたち
に引き込まれていた。
「生徒らの声さまざまにつやめきて二月の雲もすでに明るし」
「秋の日に小さき命の育つごと吾娘あこはもの言ふしぐさ覚えて」等々
頁をめくる、と表紙の裏…。
そこには先生の直筆で
「贈・その昔われにもありし春愁をほの白きほほに君ももちゐし」
とあった。
口にして詠んでみる、
しばし動けず、
「そうか、小熊先生にも若かりし頃は今の私と同じような日々があり、
この二週間の空回りのごとき実習生の奮闘ぶりを見守って下さっていたのか…」
そう思うと有り難くて仕方なかった。
この三十一文字こそが、
将来の私への叱咤激励に思えたのである。
未だに忘れられない。
(三浦政博[著]『歌集 君も唄へよ』ながらみ書房、2025年、pp.4-5)

 

政博さんの歌集の中から、
わたしのいまのこころにひびいてきたものをいくつか引用したい。

 

晩秋の水を湛ふる朝靄の潟や孤舟の影滑りゆく

秋冷の朝の蜻蛉のたぢろがず残る命を知りたるごとし

降り初めの雪の一片ひとひらゆつくりと君の睫毛に触れて消えゆく

運動会ありの狼煙は麗しき山の端までも震はすごとし

縁日の金魚掬ひの悔しきや吾も参道の賑はひとなる

夏逝くや稲穂の波の彼方より赤きバイクの郵便屋来る

帰省終へ戻りし子らの歯ブラシはまた半年の直立不動

帰宅まで「オーニソガラム」と繰り返すその名と共に渡せるやうに

出稼ぎの父と内職だけの母冬とはさういう季節であつた

己が子の栄光にはかに語り出す母は現在過去にゐるらし

カーネーション幾本あれば病床の母の意識のまた戻らむや

鉋より抜きし刃を研ぐ父の眼に職人気質蘇りたり

風のみを見つめる父となりにけり吾が名の由来を聞かざるうちに

剃り傷の理由わけを聞かれて答へたえる今日の授業の導入長し

質問に応ずるうちに教科書はさておき悩み相談となる

理屈より情あればこそ人なれと密かに思ふ昭和の残党

早春の潟に吹く風はかりつつ舟はゆるりと陸をかを離るる

 

 

・児童書の頁を母と春うらら  野衾

 

『ハイジ』のこと 3

 

学校でならう歴史は、あまり好きではありませんでした。
地理ほどではないけれど、
暗記科目だという意識がどうしてもぬぐいきれず、
ときどきおもしろいエピソードを先生から聞いたり、教科書で読んだりしても、
「好き」になるほどではなかった。
それが、いつの間にか歴史好きになったのは、
ふしぎな気もします。
なにかひとつ、たとえばコーヒーでも、バナナでも、クワガタムシでも、
なんでもいいですが、
好きなもの、興味のあるものから始めて、
そのルーツを調べたり、
それに関する歴史の本を読むことは、
始まりが好きなものだけに、
さらにその「好き」が立体的になって厚みを増す気がします。

 

高橋真琴は、後年の少女マンガの基本的なフォーマットになる、
瞳に星を描く技法の先駆者として知られる。
彼が描く花を口にくわえた美しいペーターは、
「アルプスの大自然を自由にとびはねる」「おおらかでやんちゃなハイジ」を
「やさしく見守る」庇護者的な存在
とキャプションで位置づけられている(図9-21)。
これは、
前章でシャルル・トリッテンのフランス語続編に関して観察されたのと同様に、
ハイジとペーターの関係を異性愛的な構図のなかに落とし込む試み
である。
かつて「エス」の文化の文脈で受容された『ハイジ』の物語を
あらためて異性愛的な文化へと適合させるには、
ペーターの地位と存在感を大幅に向上させる必要があったのであり、
この一枚にはその移行が象徴的に凝縮されている。
戦後の日本社会は、
『ハイジ』の物語をいわば異性愛化した。
その流れが行き着いた一つの頂点が、
高畑勲が演出を手がけた1974年のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』
だった。
(川島隆[著]『ハイジの生みの親ヨハンナ・シュピーリ』青弓社、2024年、
p.247)

 

テレビアニメの『アルプスの少女ハイジ』を、見るには見ていたけれど、
それほど熱心には見ていませんでした。
でも、きっかけはやはりあのテレビアニメでした。
川島隆さんの本を読むことで、
わたしのなかにようやく『ハイジ』の像が形を成し、
ひと区切りついた気がします。
下の写真は、図9-21をふくむ本文ページです。

 

・春分の日の雲はただゆつくりと  野衾