ふるさとのおさななじみ三浦政博さんから歌集を贈られた。
政博さんはわたしより三つ下。実家は歩いて三分ほどのところにある。
歌集をいただいてすぐに読み、
また、家に持ちかえり、じっくり読みかえした。
まえがきに「春愁の頃」と題し、
母校井川中学校での教育実習のエピソードがつづられている。
その文章に、
政博さんのあたたかさ、やわらかさ、やさしさの、
こころの襞がきざまれているようで、
ああ、政博さんは、教師を通して、歌人になるべくしてなったのだなと思った。
職員室隅の実習生机に戻り、
部活動で気を発している生徒達の様子を窓から眺めながら
二週間分の複雑な余韻に浸っていた放課後、
教務主任の小熊正明先生が私の前に立たれ、一冊の本を差し出された。
拝受し表紙を見ると『歌集・季のうた』とあった。
小熊先生ご自身の歌集だった。
中学の頃から韻文には興味関心があり、
実習の前年に亡くなった寺山修司の歌集『空には本』『田園に死す』
の世界観に惹かれていた頃でもあった。
短歌《うた》を詠まれる先生、
しかもご自身の歌集なんて凄いなあと感動しつつパラパラ眺め
数首に目を通しているうち、
知らず、
生徒や家族へ注ぐ小熊先生の繊細で優しく暖かな眼差しによる短歌《うた》たち
に引き込まれていた。
「生徒らの声さまざまにつやめきて二月の雲もすでに明るし」
「秋の日に小さき命の育つごと吾娘《あこ》はもの言ふしぐさ覚えて」等々
頁をめくる、と表紙の裏…。
そこには先生の直筆で
「贈・その昔われにもありし春愁をほの白きほほに君ももちゐし」
とあった。
口にして詠んでみる、
しばし動けず、
「そうか、小熊先生にも若かりし頃は今の私と同じような日々があり、
この二週間の空回りのごとき実習生の奮闘ぶりを見守って下さっていたのか…」
そう思うと有り難くて仕方なかった。
この三十一文字こそが、
将来の私への叱咤激励に思えたのである。
未だに忘れられない。
(三浦政博[著]『歌集 君も唄へよ』ながらみ書房、2025年、pp.4-5)
政博さんの歌集の中から、
わたしのいまのこころにひびいてきたものをいくつか引用したい。
晩秋の水を湛ふる朝靄の潟や孤舟の影滑りゆく
秋冷の朝の蜻蛉のたぢろがず残る命を知りたるごとし
降り初めの雪の一片《ひとひら》ゆつくりと君の睫毛に触れて消えゆく
運動会ありの狼煙は麗しき山の端までも震はすごとし
縁日の金魚掬ひの悔しきや吾も参道の賑はひとなる
夏逝くや稲穂の波の彼方より赤きバイクの郵便屋来る
帰省終へ戻りし子らの歯ブラシはまた半年の直立不動
帰宅まで「オーニソガラム」と繰り返すその名と共に渡せるやうに
出稼ぎの父と内職だけの母冬とはさういう季節であつた
己が子の栄光にはかに語り出す母は現在過去にゐるらし
カーネーション幾本あれば病床の母の意識のまた戻らむや
鉋より抜きし刃を研ぐ父の眼に職人気質蘇りたり
風のみを見つめる父となりにけり吾が名の由来を聞かざるうちに
剃り傷の理由《わけ》を聞かれて答へたえる今日の授業の導入長し
質問に応ずるうちに教科書はさておき悩み相談となる
理屈より情あればこそ人なれと密かに思ふ昭和の残党
早春の潟に吹く風はかりつつ舟はゆるりと陸《をか》を離るる
・児童書の頁を母と春うらら 野衾