川島隆さんの『ハイジの生みの親ヨハンナ・シュピーリ』を読むと、
文学作品は、
それを書いた作家の才能をまって世にでるわけだけど、
考えてみれば当然なことなれど、
どうもそれだけでは足りないようです。
「ローマは一日にして成らず」ということが、
文学においても当てはまりそうです。
かつてスイスの山々は、もっぱら交通の障害になる危険な場所とだけ見なされ、
恐怖や畏怖の対象でしかなく、
それを「美しい」と感じる美の基準は存在していなかった。
しかしヨーロッパでは十八世紀後半、
都市文明の発達と表裏一体で進んだルソー主義的な自然回帰の風潮を背景に、
自然豊かなスイスへの観光旅行がブームになり、
数多くの旅行記や観光ガイドが書かれた。
アルプスの山の美しい風景と澄んだ空気、清らかで純朴な人々、
牧歌的な酪農の営み、新鮮なミルクやチーズ。
――そのような理想化されたイメージを材料にして、
アルプスの美しい自然を背景に
男女の出会いを描くスイス小説が十九世紀に入ると量産された。
世紀前半で最大の成功を収めたのは、
プロイセンの官僚でもあった作家ハインリヒ・クラウレン(本名カール・ホイン)
の『ミミリ』(1816年)である。
この小説は、
観光のためスイス西部のベルン高地を訪れたドイツ人旅行者が
アルプスの山で出会った美しい少女と恋に落ちる
という筋書きで大人気を博した。
そこでは、
十八世紀までのスイス旅行文学に登場するさまざまな要素のいわば集大成
として、
一つの神話が、すなわち
極度に美化されたスイス像と「アルプスの少女」像が描き出される。
(川島隆[著]『ハイジの生みの親ヨハンナ・シュピーリ』青弓社、2024年、
pp.176-177)
「アルプスの少女ハイジ」に至る「アルプスの少女」は、
いわば文学的なインフラとして準備されていたのかと知りました。
いま流布しているスイスのイメージも、
わりと最近になって作りだされたものだったんですね。
・児童書に時を忘るる弥生かな 野衾