エリナー・ファージョンさん 3

 

伝記を読んでいてたのしいのは、
いままで結びつけて考えたことのなかった人が現れて、
伝記の主人公と、
深かったり、浅かったりの関係をもつことです。
その関係を知ることで、
すでに知っていると思っていた二人の作品や性格や人生が、
これまでとは、ちがって見えてくるようになります。

 

この年、嬉しかったのは、ロバート・フロストの訪問を受けたことで、
彼は英国に講演にきたのだった。
この二人の詩人は1914年以来の再会だった。
まだ無名の当時とくらべて、今では二人とも、文学界の名士になっていた。
フロストは、エリナーが、共通の友人として、
エドワード・トマスのことを一緒に語ることができ、
また、
彼の記憶が彼女自身の記憶と一致する、今では唯一の人になっていた。
ある夏の日の午後、
ふくよかな、こぼれるような笑みをたたえた顔で、
エリナーは、明るい陽光に分厚い眼鏡をきらきらさせながら、
このアメリカの詩人を玄関に出迎えた。
杖で体を支えつつ、
彼女はフロストに、自分の庭の、苺畑、薔薇、いちじくの木、を見せて回り、
最後に言葉を交わして以来の五十年という時間が、
まるで存在しなかったかのように、
二人は、昔のこと、今のことを語り合った。
「これはすごい!」と、彼女の書棚の80冊の作品を見ながら、
フロストが言った。
「随分たくさん書いたんだねえ!
僕が六十年間にどれだけ書いたか知ってるかい。600ページだよ」
「ええ、でもあなたのは、どれもみんな、生き残るでしょう。
私の作品の大半は、屑籠行きでしょうよ」
と、彼女は答えた。
フロストは帰りたくなかったが、車が待っていた。
そして、
いつも時間にきちょうめんなエリナーが、とうとう無理に彼を発たせて、
次の約束にほんの少し遅れるだけですんだ。
古くからの友人、ヘレン・トマスに伴われて、
エリナーはユニヴァーシティ・カレッジでの彼の講演に出席した。
(アナベル・ファージョン[著]吉田新一・阿部珠理[訳]
『エリナー・ファージョン伝 夜は明けそめた』筑摩書房、1996年、p.330)

 

すぐれた伝記を読むと、知っていたと思っていた人が、
まったく新しいひかりを放って立ち現れてくるような印象を持ちます。
またさらに、本を閉じた後で、
伝記のほんとうの主人公は、
本のなかで取りあげられたひとを通じての、時間、なのではないか、
と思えてきます。
それが、じぶんの生きている時間と交差し、
考えるヒントを与えてくれるようです。

 

・春泥を抜けて一心ペダル漕ぐ  野衾