中村元さんの『ブッダ入門』がわかりやすくおもしろいので、
ついつい引用が多くなりました。
さいごに引用したいのは、
瀬戸内寂聴さんも生前、取り上げておられたようですが、
お釈迦様の発言として、
ちょっと意外な気もします。
雨季が過ぎると釈尊はいよいよヴェーサーリーを去って、また旅路を続けます。
出発のとき、ヴェーサーリーの郊外の高い峠から振り返ってみて、
そして感懐をもらした。
「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。
ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバカ霊樹は楽しい。
バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。
チャーパーラ霊樹は楽しい」
こういう文句が繰り返されています。
これは、土饅頭のような塚があって、その上に木が繁っている。
霊樹におおわれている。
そこが楽しいと見たのでしょう。
さらにサンスクリットのテキストには釈尊の感懐として、
「ああ、この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」
という言葉があります。
ここを漢訳では、
「この世界の土地は五色もて画いたようなもので、
人がこの世に生まれたならば、生きているのは楽しいことだ」
とあります。
(中村元[著]『ブッダ入門』春秋社、2011年新装版、pp.205-206)
意外な気もしますが、そうでない気もしてきます。
これにつづくところに中村さんは、
「釈尊はこのとき、もう自分の運命には気づいておられたと思います。
この世を去るにあたって、恩愛の情に打たれ、
人生というのは奥深い、味わいのある、
楽しいものだという感懐をもらされたのです。
ここには多分に釈尊の率直な感懐が出ていると思います。」
と記されています。
わたしの母は、この1月22日に他界しました。
つらい時間がつづきまして、
手にとったのが
『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』と『ブッダ入門』でした。
お釈迦さまが「どこまでも人間」であったとすれば、
ほかの人間のいのちにも当てはまるのではないか、
お釈迦さまのさいごの旅と言説を知ることで、
いまは亡き母を供養し、
わたし自身を落ち着かせたい気持ちからでありました。
・春光やハイジの丘の山羊の乳 野衾