『エドワード・トマス訳詩集』のなかの「十月」も好きな詩です。
いくつかでてくる植物の名は、きいたことはあっても
ピンとこないものばかり。
画像検索をしてみて、ああ、あれかと気づく。
目にとまり、スマホで写真を撮ったものもありそうな。
いずれも野に咲く花々だ。
ただ一本金色に色づく太枝を持った 緑の楡の木が
草地に葉を落とす。一葉ずつ――
丈の短い丘の草、乳白色の小さなキノコ、
イトシャジン、マツムシソウ、キジムシロの咲く方へ
露に濡れたクロイチゴとハリエニシダが
光を浴びてうなだれる。風はあまりに弱く、
羊歯の上に落ちた樺の葉を 振り落とすこともできない。
蜘蛛の糸は自らの意志で漂う。
鳥の歩みより重たい足取りに、りすが小言をいう。
豊かな眺めは再び一新され、春のように
さわやかだ。肌寒いというよりは
見た目に暖かい。そして今 僕は
大地が美しく広がるように 幸せになれるだろう――
もし何か別の存在になれるならば。大地とともに暮らし
スミレとバラに代わるがわるなれるならば。
季節に従って イトシャジンやマツユキソウに、
いつでも楽しげなハリエニシダに、なれるならば。
たとえこれが幸福でないとしても――誰に分かろう――
いつの日か僕は思うだろう、これが幸せだったと。
もはや こうした気分が 憂鬱という名で
暗く曇らされることもないだろう。
(エドワード・トマス[著]吉川朗子[訳]『エドワード・トマス訳詩集』
春風社、2015年、pp,92-93)
読む時間。引用してキーボードを打つ時間。画像検索し、
名と花をあわせる時間。入力ミスがないか、
もういちど確かめる時間。そしてもういちど。
ゆっくりの時間が流れる。
「いつの日か僕は思うだろう、これが幸せだったと。」
・うららかや馬の毛並みも艶めきて 野衾