学校でならう歴史は、あまり好きではありませんでした。
地理ほどではないけれど、
暗記科目だという意識がどうしてもぬぐいきれず、
ときどきおもしろいエピソードを先生から聞いたり、教科書で読んだりしても、
「好き」になるほどではなかった。
それが、いつの間にか歴史好きになったのは、
ふしぎな気もします。
なにかひとつ、たとえばコーヒーでも、バナナでも、クワガタムシでも、
なんでもいいですが、
好きなもの、興味のあるものから始めて、
そのルーツを調べたり、
それに関する歴史の本を読むことは、
始まりが好きなものだけに、
さらにその「好き」が立体的になって厚みを増す気がします。
高橋真琴は、後年の少女マンガの基本的なフォーマットになる、
瞳に星を描く技法の先駆者として知られる。
彼が描く花を口にくわえた美しいペーターは、
「アルプスの大自然を自由にとびはねる」「おおらかでやんちゃなハイジ」を
「やさしく見守る」庇護者的な存在
とキャプションで位置づけられている(図9-21)。
これは、
前章でシャルル・トリッテンのフランス語続編に関して観察されたのと同様に、
ハイジとペーターの関係を異性愛的な構図のなかに落とし込む試み
である。
かつて「エス」の文化の文脈で受容された『ハイジ』の物語を
あらためて異性愛的な文化へと適合させるには、
ペーターの地位と存在感を大幅に向上させる必要があったのであり、
この一枚にはその移行が象徴的に凝縮されている。
戦後の日本社会は、
『ハイジ』の物語をいわば異性愛化した。
その流れが行き着いた一つの頂点が、
高畑勲が演出を手がけた1974年のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』
だった。
(川島隆[著]『ハイジの生みの親ヨハンナ・シュピーリ』青弓社、2024年、
p.247)
テレビアニメの『アルプスの少女ハイジ』を、見るには見ていたけれど、
それほど熱心には見ていませんでした。
でも、きっかけはやはりあのテレビアニメでした。
川島隆さんの本を読むことで、
わたしのなかにようやく『ハイジ』の像が形を成し、
ひと区切りついた気がします。
下の写真は、図9-21をふくむ本文ページです。
・春分の日の雲はただゆつくりと 野衾