渡来人のこと

 

[人麻呂歌集]歌・作者未詳歌のあの七夕歌の群作は、
中国の典籍の中から生まれてきたものではなく、
民俗的な大衆の行事の中から、
その共有する意識や感情のもとに、生まれてきたものと思う。
その民俗を伝え、
地域社会の中でそれを演出してみせたのは、渡来者の集団であったとみてよい。
中国風の説話の知識で七夕歌が作られるのは
憶良・家持に至ってからであるが、
それはおおむね宴飲歌であり、独詠歌である。
比較文学的立場から、
このように半島文化を基盤とする文化活動のなされている時期を、
私は[万葉]の初期とし、
万葉的なものの成立期・完成期とするのである。
そしてその時期を代表するものが、人麻呂であった。
(白川静『白川静著作集 11 万葉集』平凡社、2000年、pp.319-320)

 

「令和」の文言が万葉集はもとより、
中国の古典『文選』までさかのぼれる
という指摘にもみられるように、
日本の古典と中国文学の比較研究はかなりありますが、
白川さんの本を読んでみて、
影響といい、模倣といっても、
時代状況に鑑みれば、
ひとの移動がなければそれは起こらないことを
あらためて気づかされました。
朝鮮半島から日本に渡ってきた人びとの風俗習慣のなかに、
たとえば七夕があり、
そのことを踏まえての七夕歌ととらえれば、
おのずと味わいがちがってくるようにも思います。
白川さんはまた、
若いときから『詩経』と『万葉集』の比較研究をあたためていたようです。

 

・太陽と池の底なる鯰かな  野衾