馬と人

 

万葉集巻第十八の4081番は、

 

片思を 馬にふつまに 負ほせ持て 越辺に遣らば 人かたはむかも

 

伊藤博の訳は、

 

この私の片思い、
こいつを馬にどっさり背負わせて越(こし)の国に遣わしたら、
どなたが手助けしてくれるだろうかな。

 

これは、
大伴家持にとっての叔母であり、妻坂上大嬢の母でもあった坂上郎女からの来信。
このとき家持は越中国に赴任中。妻と義母は奈良の都にいる。
この歌は、
肩の力を抜いた少し冗談めかしたものになっている。
この歌に馬がでてくる。
伊藤博の文章の中に
「都と越中との往還には多く馬が利用された」とあるから、
すでに万葉の時代に、
馬は人間の暮らしに無くてはならないものだった
ということだろう。
わたしの子ども時代、
わたしの家はもちろん、友だちの家に遊びに行っても、
けっこう馬を飼っている家が多かった。
玄関先に馬屋があるのはふつうのこと。
それが小学校、中学校とすすむうちに、村から馬が消えた。
農作業や移動手段として馬を使うことがなくなった。
この間の時代の変化は、
ふり返ってみれば、ものすごいものだった。

 

・泥動く池の底なる鯰かな  野衾