歩いて二、三分

 

三十年ほどまえのことになりますが、
身辺にわかに騒がしくなり、
家に閉じこもり鬱々していた時期がありました。
おカネになりそうな本をつぎつぎ売って、
好きな音楽も聴かずにただぼーっとしていたように記憶しています。
なにも手につかず、
そばにある本を手にとっても
書かれている内容があたまに入ってこない、
そんな時間が過ぎていくなか、
寺山修司の言葉だけはあたまに入る、
というか、
こころに沁みた。
短歌であれ、俳句であれ、エッセイであれ、詩であれ。

 

大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

 

この韻律、この叙情、
意味よりなにより、言葉がもつオーラに感応し、
言葉の底に沈んでいる言うに言われぬ悲しさに懐かしさを覚えた。
そんなことではなかったかと思います。
遠い記憶が蘇ったのは、
一通の手紙がきっかけでした。
ふるさとの、
わたしより三つ下、
子どものころからよく知っていて、
父親は大工をしており、
家は歩いて二、三分。
小学生の頃は、三つちがいでも遊びましたが、
中学は三年間しかありませんから、
いっしょになることはありませんでした。
彼が高校、大学を出たあと、
高校の先生になっているということを風のうわさに聞きました。
彼の名前をちょくちょく見るようになったのは、
秋田の地方紙の短歌コーナー。
そうか、短歌をやっているのか。
手紙は、
その彼からのものでした。
文中、寺山修司が好きだとありました。
来年三月で定年を迎えるとも。
歩けば二、三分、
いまも家はその距離にありながら、
彼がかつて暮らした家には今はだれもいません。
たまに帰って、
窓を開け放つぐらいのようです。
それぞれの人生を生きて、いろいろあって、
いろいろいろいろ、
思い出したりくやんだりもした。
取り戻すことはできなくても、
抱くことはできます。

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

・太陽が間近くなりぬ井戸浚  野衾